11月28(金) バドミントン発祥の定説

 日本においては,バドミントンの発祥に関して,1つの定説がある。今では,これを信じている人はほとんどいないとは思うが。

 すなわち,以下の話である。

 1873年のある日のこと.英国の貴族ボーフォート公は、そのグロスターシアの領邸バドミントンでホームパーティを催した。ところが、宴半ばにして突然雨が降り出したのである。おまけに激しい風に雷鳴も加わり、人々は屋内に閉じこめられて、しばし雨宿りの形となった。しかし、一向に嵐はおさまらない。飲食にも飽き、話題もようやく尽き、人々は焦繰とやけきれない倦怠ムードに陥った。すると、たまたま参会者の中にインド駐留から休暇帰国中の陸軍士官数名が居あわせ、ボンベイ州プーナ地方で数世紀にわたって行われている「プーナ遊び」の話を持ち出したのである。その説明のため、彼らは身近にあったシャンペンの空びんからコルク(ロ栓)を取り、その片側に鳥の羽根を植えつけ、テニスのラケットを振って、テーブル越しに前後に打ち合って見せた。人々はこの遊びに、たちまち魅了され、退屈を忘れさせる新しいスポーツを発見した。というわけで、その領邸の名をとって「バドミントン」と名づけた。

 この話の元となったのは,1964年に不昧堂書店から発行された,「バドミントン教本」という書物(図1)の中の,「第1章 バドミントンの由来」に記された英文の逸話である。この章の著者は,あの日本バドミントン界の先達である,今井先(いまいはじめ)先生である。ちなみに,今は鬼籍におられる今井先生は,日本バドミントン界の先達として,バドミントンの普及,競技力の向上に貢献された方で,日本女子体育大学の監督を長年務められ,全日本チャンピオン,全英選手権のチャンピオンを数多く育てられた。また,全日本の監督としても,ユーバー杯初制覇やその後の連覇の原動力となっている。私も,先生の生前には何度か,電話やお手紙で教えを請うたことがある。そのときに,今井先生はよく言われていた。最近の指導者には哲学がない,勝つことばかりしか考えていない,もっと哲学を持たなければいけない,と。ちなみに,今井先生のご子息は早稲田大学バドミントン部のOBで,私の先輩であります。

図1

栗本義彦監修
伊藤基記
相馬武美
菊池利明
今井先 共著
1964年発行
バドミントン教本
タイトルページ


 さて,上記の今井先生が取り上げた話はある書物からの引用で,その書物とは,1942年に米国,オクラホマ大学のハロルド・キース(Harold Keith)が編集した「Sports and Games」(図2参照)である。この書物は,16種目のスポーツに関する手引き書で,それぞれの種目毎に,簡単な歴史やルールや技術解説がなされている。バドミントンは第1章で紹介されており,キースが当時オクラホマ州のダブルスチャンピオンであったブラッド・シールの手助けを得て著したそうである。

 原文は以下のとおりである。

In I873, the Duke of Beaufort gave a house party at Badminton his country estate in Gloucestershire, England. A severe storm forced the guests the guests to remain indoors. Among them were some British Army officers home from India; they fell to discussing poona,a native Indian game centuries old. To illustrate the game, the officers took a champagne cork, stuck one end of it of feathers,and began to bat it back and forth across the table with tennis rackets.Soon all the guests were enthusiastically playing and found the new sport a fascinating means of escaping the boredom of their confinement. That was birth of badminton, which took its name from the duke's coutry home.

図2
ハロルド・キース(Harold Keith)編集
Sports and Games
1942年発行
タイトルページ

 しかし,この話,全くの作り話である,と私は思っている。
 
 ちなみに,冒頭の定説は,今井先生が1980年にバドミントンマガジン4月号91頁「バドミントンあれこれ 連載1」で紹介したものである。そして,これは1964年のバドミントン教本で今井先生が紹介したキースの逸話の和訳である。
 勿論,私は,今井先生に文句を付けているわけではない。先生はキースの著述を忠実に訳しながら,勝つことばかりに専心する昨今のバドミントン界の将来を憂い,警鐘を鳴らすために,微笑ましくバドミントンの原点を紹介したかったのだと思う。

 話を戻して,なぜこの話が作り話かということであるが,だってそうでしょう。1873年にボーフォート公爵の邸宅でホームパーティーを開いたというのはいいでしょう。きっとそんなこともあったでしょう。そこにインド駐留から休暇帰国中の陸軍士官数名が居あわせた。これもいいでしょう。しかし,インドで行われているプーナゲームを紹介するのに,なんで,シャンパンのコルクがいるのですか。そして,なんで重たいテニスラケットを使うのですか。
 イギリスには,古くから伝わる,バトルドーアンドシャトルコック(図3参照)というあそびがあるじゃないですか。シャトルを作る必要もないし,打具はバトルドーを使えばいいじゃないですか。というよりは,陸軍士官たちが紹介したあそびこそが,バトルドーアンドシャトルコックではないですか。
 この話,アメリカ人が紹介したというところがみそです。イギリス人だったらバトルドーアンドシャトルコックのことを知らないわけはないので,こんな話は考えつかなかったでしょう。
 さしずめ日本だったら,「インド帰りの商人が,インドに昔から伝わるおもしろいゲームをある宴会の際に紹介した。ドングリの実に鶏の羽根を埋め込み,小さなお盆をもって,テーブル越しに打ち合った。そしたらこれがおもしろい。新しいあそびいうことで人々は魅了された」。
 
 こんな話が日本で通じるわけはないでしょう。アメリカだったらわからないが。羽子板を出してきて,追い羽根突きをやればいいでしょうが。だれも新しいとは思いません,ちゅうに。

 

 だから私は作り話であると思っています。


図3
バトルドーアンドシャトルコック
「The Graphic」誌
1871年,5月13日号掲載プリント


 
ということで今日はおしまいです。さようなら。

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11月21(金) 1898年のバドミントンのルール

 今日は,昔のバドミントンのルールについて少し疑問に思ったことがあったので,昔のルールブックを紐解いてみた。そこで,ついでといっては何であるが,ちょいと話のネタに情報を提供いたします。

 バドミントンのオフィシャルルールが制定されたのは,1893年,英国はハンプシャー州のサウスシーという所であった。このいきさつについては,このサイトの中にあるバドミントンあれこれの「バドミントンの初期の歴史」のページに詳しいことが書かれているのでご参照頂きたい。

 残念ながら,この1893年に決められたルールの内容について,私は全く知らない。また,誰かがこのルールブックあるいはそのコピーを持っているという話やうわさも聞いたことがない。したがってその内容は藪の中である。
 私が持っているもっとも古いルールブックのコピーは1898年のものである。FOURTH EDITIONとなっているので第4版ということである。実物は下の図1に示されているものである。
 
  ちなみにこのルールブックのタイトルは,The OFFICIAL EDITION of the LAWS of BADMINTON and the RULES of the BADMINTON ASSOCIATIONとなっており,LAWSとRULESが含まれている。私たちが一般的にルールと呼んでいるものがLAWSで,RULESとは協会の規約のことである。したがって,RULESの方には,第1条に,この協会はThe BADMINTON ASSOCIATIONと称するとか,第2条にはこの協会の目的は・・・・・・といったようなことが書かれている。

図1
The OFFICIAL EDITION
of the
LAWS of BADMINTON
and the
RULES
of the
BADMINTON ASSOCIATION

 このルールは5条18項の条項と付録で構成されているが,おもしろいのはコートの形状である。下の図2と3に示したが,アワーグラス型コートである。アワーグラスとは砂時計のことでまさに砂時計のかたちをしている。 支柱の形状もおもしろいネットの上,6フィートの高さまで鉄製の棒が伸びている。この外側を通ったらフォルトである。きっと審判は苦労したことだろうな。6フィートより上をとんだシャトルの判定は難しかっただろうな。でも,このコート1901年4月に開催されたバドミントン協会の定期総会で廃止が決まり,今と同じ形になった。わたしも何回かこのコートを作ってやってみたことがあるが,やはりポストの上をシャトルが飛んでいくとその判定は極めて難しい。

 また,付録の所にであるが,3対3と4対4のゲームについても解説している。この3対3と4対4のゲーム,なぜかわからないが,1901年に改正されたルールでは,付録ではなくて,ちゃんとした条項として取り上げて規定している。第6条を新たに起こし,その中の19〜21項で説明しているのである。たぶん根強い人気があったのだろう。この改訂されたルールブックでは,3対3のゲームはシックスハンデッドゲーム,4対4はエイトハンデッドゲームと呼んでいる。このシックスハンデッドゲームとエイトハンデッドゲームをはじめとして,多人数で行うゲームは,1880年代にはもっともポピュラーなゲームのやり方であったようだ。老若男女が一緒に行えるというところに最大の魅力があったのであろう。レクレーションとして行うのにはもっとも適していたのだ。これについては今でもそうであるが。だから,バドミントンをレクレーションとしてやる場合,バレーボールのコートなんかを利用して,ネットも若干高いところに張ったりして,6対6でやるのもおもしろいんじゃないだろうか。私はやったことがありますが,盛り上がりましたよ。ただし,このシックスハンデッドゲームとエイトハンデッドゲームに関する条項は1906年のルール改正で完全に削除されてしまった。まあ,バドミントンが進化していく過程で,その役割を終えたということであろう。

 第1回と第2回の全英選手権は,この1898年のルールの元に行われている。ただし,第1回大会では男女のダブルスとミックスダブルスしか行われていないが。男女のシングルスが採用されたのは第2回大会からである。しかし,なぜ,このシックスハンデッドゲームとエイトハンデッドゲームは全英選手権で採用されなかったのであろうか。と考えたとき,授業での風景が思い浮かんだ。わたしは,バドミントン実習にこれを取り入れ,学生諸君にやってもらっているのであるが,初心者がレクレーション的にやる分には楽しい。しかしながら,上級者がやると危険なスポーツになってしまう。つまり,後衛のプレーヤーが思わずネット前に甘い球をあげてしまったときなのであるが,特に,自軍の前衛が女性であった場合などなのであるが,キャーという絶叫が体育館中にこだますることになる。It is very dangerous.
 このようなバドミントンのプレー風景を,19世紀の後半には,ヒットアンドスクリームと(Hit and Scream)呼んでいたのである。あるサイトを見ていたら,どのようなルールかは定かでないが,昔バドミントンにはヒットアンドスクリーム(打ったらキャー)という奇妙なルールがあったというようなことが書かれていたが,ヒットアンドスクリームとは,ルールではないのです。このような状況のことなのであります。バドミントンガゼットにも書いてありました。はいっ。

 さて,1898年のルールの全容につきまして,私が訳し,1992年の12月に日本体育学会の体育方法学分科会で発表をしたときに資料として配付したものがありますので末尾に添付しておきます。よろしかったら,昔のバドミントンの様子を想像してみて下さい。

 イヤー,今日は極めてまじめな,そして,重い内容になってしまった。
 来週と,再来週の土曜日は各務原市中央図書館と岐阜駅のアクティブGで講演をしなければならないのにこんなことをしていてよいものなのだろうか・・・・・・。今からがんばろう。(^_^;

図2

コートの形状
アワーグラス型コート
(砂時計型コート)
と呼ばれている。
図3

支柱の形状もおもしろい
ネットの上,6フィートの高さまで
鉄製の棒が伸びている。
この外側を通ったらフォルトである。


The laws of BADMINTON 1898

 

コート(THE COURTS)

 

1.コートは次の図Aの通りにレイアウトし,11/2インチ幅の白か黒のペンキかチョークで書かれた線で明確に示す。

2.ネットはなめらかな木綿の細紐を3/4インチ四方の網にしたものを長さ16フィート,幅2フィート6インチにし,中央部の高さ5フィート,ポスト部の高さ5フィート1インチに張る。

3.ポストは上述のとおりにネットをまっすぐに保つことができるしっかりとしたもので,少なくともネットのレベルよりも6フィート高く突き出したものとする。図Bの配置が推薦される。

4・シャトルは65〜75グレインの垂さで、直径1インヂのコルクに16〜18枚の羽根をつけ、羽根の長さは21/2とし、上端が21/4インチの広がりを持ち、コルクの1インチ上部に糸をかがる。

上述の用具はF.Hアイレス氏,111,アルダーゲートストリート,ロンドン.でのみ手に入れることができる。

 

ゲーム(THE GAME)

 

5・ゲームは各々のサイドが1人ずつあるいは2人ずつでプレーされる。

6.コートの選択 一最初のゲームにおけるサイドとファーストサービス権はトスによって決められる。それは次のように規定される。トスの勝者がファーストサービス権を選んだら,もう一方のプレーヤーはサイドを選択する。逆の場合も同じである。また、次のようにも規定されている。トスの勝者が望むならば最初の選択を相手プレーヤーに委ねてもよい。ただし,ゲームに勝ったサイドは次のゲームを開始する義務がある。そのときは勝者サイドのどちらのプレーヤーが次のゲームを開始してもよい。

7.ゲームは15得点から成る。13オールでは先に13に達したサイドがセティング5の選択権を持つ。14オールではセティング3である。

8. 3ゲームのうち2ゲームを先取した方が勝者である。3ゲーム目がプレーされる場合は,どちらかのスコアが8になったらサイドを交替する。

 

フォルト(FAULTS)

 

9.サイドが,”イン”のプレーヤーがフォルトをした場合はハンドアウトとなる。サイドが“アウト”のプレーヤーがフォル卜をした場合は,“イン”サイドに1点がカウントされる。

10.次の場合はフオルトである。

(a)サービスがオーバーハンドである場合。(打たれる瞬間のシャトルがサーバーのウエストよりも高い場合,そのサービスはこのルールが意味するオーバーハンドであると考える)

(b)サービスが間違ったコートに落ちた場合(すなわち、サーバーに対して対角線上の反対コートに落ちなかった場合),あるいはショートサービスラインに達しない場合、あるいはロングサービスラインを越えた場合,あるいはバウンダリーラインの外側に落ちた場合。

(c)サーバーの両足が自分のコート内にない場合。

  注)ライン上にある足はコートの外側にあるものとみなされる。

(d)サービスあるいはプレーのいずれかにおいて,シャトルコックがゲームの境界線の外側に落ちた場合、あるいは両ポストあるいは両ポスト上のパーティカルラインの間を通過しなかった場合、あるいはネットの間やネットの下を通過した場合,あるいは屋根や側面の壁やプレーヤーのだれかの身体か衣服に触れた場合。

注)ライン上に落ちたシャトルコックはすべてそのラインが境界を示すコート内に落ちたものと考える。

(e)シャトルコックがネットの打者サイドを越える前に打たれた場合。だだし、打者のラケットがシャトルを追ってネットを越えるのはよい。

(f)シャトルがインプレーの間にプレーヤーがラケットや身体でネットやサポートに触れた場合。

(g)1人のプレーヤーがシャトルコックを2回打った場合、あるいは1人のプレーヤーとそのパートナーが2人でシャトルコックを打った場合。

(h)プレーヤーが間違った順番で、あるいは間違ったコートからサーブし、フオルトがコールされた場合、あるいは次のサービスがリターンされる前に認められた場合。

 

プレー(THE PLAY)  

 

11・ファーストハンドをどちらのサイドが持つかが決まったらそのサイドの右側コートのプレーヤーが反対サイドの右側コ−トのプレーヤーにサーブすることによってゲームを開始する。反対サイドの右側コートのプレーヤーがシャトルコックがグラウンドに触れる前にリターンしたら”イン”サイドの1人がそれを打ち返さなければならない。さらに”アウト”サイドはそれを打ち返さなければならない。それはフオルトを犯すかシャトルコックがグラウンドに触れるまで繰り返される。”イン”サイドがフオルトを犯した場合はサーバーのハンドはアウトとなる。そして、反対サイドの右コートのプレーヤーがサ−バ−となる。しかし,サービスを受けなかったり,“アウトサイド”がフォルトを犯した場合は“イン”サイドが1点を得る。そして,“イン”サイドイドはコートを替えサーバーは左コ−トから反対のサイドの左コートにサーブする。また,自分のスコアに1点が加えられたときに限り,自分サイドのプレーヤーどうしがコートを交代する。各イニングのファーストサーブは右側コートから行う。サービスが取られた後はサービスラインを無視する。

 

一般ルール(GENERAL RULES)

 

12.サーブを受けることができる者は1人だけである0また、プレーヤーは2回連続してサーブを受けてはならない。

13.サーバーは相手が準備するまでサ−ブをしてはいけない。サービスリターンが試みられた場合,レシーバーは準備ができていたものと見なされる。サーブを打つときにサーバーが予備的に相手にフェイントをかけたりボークをした場合にはレシーバーにはサービスを受ける義務はない。

14.ゲームを開始するサイドの最初のイニングはワンハンドだけである。

15.サーバーは自分のコートのショートサービスラインとロングサービスラインの間のどこでも好きなところに立ってよい。

16.シャトルコックがサービスの際にネットかポストに触れた場合はレットである。しかし、インプレー中であればそのストロークは無効ではない。

17・どのような不測の事態についてもあるいは突発的な事故に対してもどちらかのプレーヤーから次のサービスの前に申し出があればアンパイヤーはレットとすることができる。その時にはプレーをやりなおす。

18・たとえそれが正しかろうが間違っていようがアンパイヤーの決定は最終のものである。

 

付録(APPENDIX)

 

両サイド1人ずつのゲームではルール11、12と異なる次のことを除いて上述のルールを適用できる。異なることとは,得点が入る毎に両方のプレーヤーがコートを替えるということと,同じプレーヤーが続けてサーブを受けるということである。

 バドミントンゲームは1つのサイドが3人づつあるいは4人づつでもプレーできる。この場合にはゲームは21得点で構成される。19オールでは先にその点に達したサイドがセティング5の選択権を持つ。20オールではセティング3である。

コートのバックバウンダリーラインをロングサービスラインとしてもよい。また,バックプレーヤーはサービスがフロントプレーヤーを越えた後ならばそれを受けてもよい。

ゲームを開始するサイドの最初のイニングはツーハンドのみである。その後はすべてのイニングでサイドの全員がハンドを持つ。また“イン”サイドの最初のプレーヤーはセカンドハンドがアウトになったらサードプレーヤーと場所を交替する。同様にセカンドプレーヤーはサードハンドがアウトになったらフォースプレーヤーと場所を交替する。

 

 

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11月14日(金) ベティー・ユーバー女史