10月24日(金) これは便利です(裏技かも)

 相も変わらず,週に1〜2日,小学校1年生になる娘とバドミントンを楽しんでいる。

 やはり,やる限りは少しでも上達する方がうれしい,ということで,技術的な練習もするようになった。今は,バックハンドとスマッシュが打てるようにがんばっている。
 勿論,がんばっているといっても,ほとんどあそびである。娘などにいたっては,一喜一憂しながらやっているものの,なかなかうまくいかない状態が続くと,「もーやーめた」といって,すぐにラケットを投げ出している。本当に根性がないものだ。親の顔が見てみたい。
 しかしながら,練習の帰りには決まってスーパー銭湯に2人で入って帰ってくるのだが,お風呂の中では,いつも気を取り直し,またがんばってみるとは言っている。バドミントンは上手にならなくてもよいので,物事を投げ出さない子に育ってくれればと願っている今日この頃である。

 さて,このような技術を習得させる場合,日本ではいわゆるノック(knock)練習と呼ばれる形式が多く用いられている。すなわち,買い物かごのような入れ物にシャトルコックをたくさん入れ(図1参照),それを野球のノックのように,次々とラケットで打ち出して,あるいは手で投げ出して,相手に打たせるという方法だ。

図1

 ちなみに,このバドミントンの練習におけるノックという呼び方であるが,日本独特の呼び方である。おそらく,これは野球のノックにちなんでのことだと思うが,ノックという意味は,たくさんのボールを用意して打つという意味では決してない。まさに,ドアをノックする,といった使い方をするときと同様の意味で,軽く打つという意味なのである。だから野球のノックも軽く打っているでしょう。
 日本のバドミントン界では,たくさんのシャトルを準備して打ち出す練習のことを,ノック練習と思っている人が多いのではなかろうか。私も学生時代にはそう思っていた。
 ちなみに,イギリスなどの英語圏の国でも,バドミントンをするときにノックという言葉が使われている。勿論,シャトルをたくさん用意はしない。では,どんなときに使うかというと,試合やゲーム練習の前などに,軽く打ち合う乱打のことをノックと呼んでいる。例えば,イギリスなどでは,ゲーム練習の前に,日本で行っているような基礎打ちと呼ばれるものを行う習慣がない。そこで,ウォーミングアップとして軽く乱打を行う。そのことをノックと呼んでいるのである。まさに軽く打ち合うわけだ。なお,イギリスでは,私たちがノックと呼んでいる練習方法のことをマルチフィードプラクティス(Multifeed Practice)と呼んでいる。まさに,多くのシャトルを供給する練習という意味だ。

 前置きが長くなったが,今回,このノックを行うときに使うかごにちょっと細工をしてみた。そしたら,これが使いやすい。ということで紹介(図2参照)。
 かごにひもをとおして,百円ショップでカラビナを買ってきて,キャリーバックについている肩掛けベルトをつけてみた。そして,図3のように,肩からたすき掛けにかけるとこれが便利。いちいちシャトルを手渡しをしてもらわなくてもいい。普通手渡しをしてくれる人がいない場合,いすか何かを用意して,その上にかごを置いてシャトルを取るようにするのが一般的である。しかし,こうすると腰が痛くなってしまうが,それもない。
 一番便利なのは,移動が自由であるということだ。小さな子供にノックをする場合,子供が目をつぶってもラケットに当たるよう,ピンポイントでシャトルを打ち出してやらないといけない。しかし,ノックをする人が一カ所に固定したままこれをやるのは非常に難しい。子供のストロークの様子で間合いを変えていかなければならない。子供が打ちやすい方向を探るため,コートの中を縦横無尽に動きながらシャトルを出してやらなければならない。また,一連のノックの中では,子供のすぐそばに行って,足元からシャトルをトスして打たせ感覚をつかませた上で,急いでネットの向こうに走り,シャトルを打ち出してやると有効な場合もある。そのようなことをするためにこの肩掛けかごは便利なのである。
 
 ちなみに,以前は,このノックで使用するシャトルに関して,使い古しのやつを使っていた。しかし,使い古しのシャトルでは,一つひとつのシャトルのペースがかなり違う。したがって,コントロールをするのが難しく,子供もヒッティングポイントを掴みづらいといった状況でなかなか上達しなかった。そこで,思い切って,清水の舞台から飛び降りたつもりで,安いシャトルを10ダースほど買って,これでノックをやるようにした。するとどうだろう,みるみる当たるようになってきた。しかも,小学校1年生ぐらいだと,本人がいくら全力で打ったとしても,シャトルは壊れようがない。ほぼ新品の状態を続けている。時々,踏んづけてつぶすことがあるのでこれには細心の注意を払わなければならないが。ともあれ,決して不経済ではないと思う。むしろ,対費用効果を考えると,極めて経済的であると思われる。

図2
図3

 とうことで,近況報告でした。


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10月15日(水) 芍薬と牡丹と百合の花

 昔,私は学部学生の3,4年生の時に家庭婦人のバドミントンクラブのコーチをしたことがある。東京は杉並区にある,ひまわりバドミントンクラブのコーチである。このクラブの歴史は古く,昭和48年4月の創部であるが,ここのコーチは初代を除いて歴代,早大の部員が引き継いでいる。私は5代目であったが,現在もやはり早大バドミントン部で主将を務めている稲垣君がコーチをしているようだ。

 私は学部学生の時に,授業でコーチング論だとかスポーツ指導法だとか体育科教育法だとか,スポーツの指導を行うための勉強をしたが,ひまわりクラブでのコーチ経験は何にもまして勉強になったと思っている。そして,部員であるお母さん方には和気あいあいとした雰囲気の中で色々なことを勉強をさせてもらった。今でもよい思い出である。お母さん方は私の母よりも年上の方がほとんどであったが,何しろ熱心であった。とはいっても,殺伐とした雰囲気はみじんもなく,一緒にスポーツをやる喜びに,皆さん,あふれていた。試合で勝つのは2の次であったように思う。

 当時,ひまわりクラブは杉並区の永福体育館で土曜日の午前中に活動をしていた。一方,私は西早稲田というところに住んでいた。そこで,3年生に進級した直後に通い始めたのであるが,最初は高田馬場から山手線に乗って,新宿で京王線に乗り換え,西永福というところで降りて徒歩5分の体育館に通っていた。しかし,貧乏学生だったので,電車代を浮かせるために自転車で通うことに急遽変更をした。所要約1時間であったが雨の日も自転車で通った。そんな様子を見ていたひまわりクラブのあるお母さんが朝御飯をお弁当に詰めて持ってきてくれるようになった。9:00から練習が始まるので少し前に体育館に到着するといつもお弁当が体育館のロビーのベンチの上においてあった。それをおいしく頂いてからいつも練習に参加した。
 練習は,だいたい12時までで,毎回4000円のコーチ料を頂いた。途中からは4500円に上がったが,これは貧乏学生にとってはとてもうれしい金額で大切に使わせていただいた。コーチ料をもらった後,着替えを済ませ,帰ろうとするといつもお昼ご飯に誘ってもらった。駅の近くの喫茶店でいつもランチをご馳走になった。貧乏学生にとっては至福の時であった。それから,早稲田大学まで自転車で戻り2:00からの練習に参加したものだった。

 ひまわりクラブのお母さんには,時々,差し入れと称してウイスキーなども頂いた。ある時は海外旅行のおみやげだといってジョニ黒を頂いた。今でこそ,ジョニ黒は大した値段でもなく,お酒の量販店で無造作に売られているが,当時としてはとても珍しいものであった。確か普通に酒屋で買うと8000円程度はした。それは高級なバドミントンラケットが1本買える値段で,学生風情が簡単に飲める代物ではなかった。
 ジョニ黒をもらってきた夜,それをこたつの上に置いてよく眺めた。瓶を手にとって電球に透かしてみたりもした。そして,どうやって呑もうかと思案した。しかし,飾っておこうという発想は全くなかった。そこで1人で呑むのはもったいないと早大バドミントン部でマネージャーをやっていた同級生で酒好きのFに声をかけたら早速下宿にやってきた。そして,2人で眺めて,どうやって呑もうかということになった。そのまま呑むか,ロックで呑むか,水割りにするかを考えた。そのまま呑めばジョニ黒の味がよくわかって呑んだという気になる。しかし,すぐになくなってしまう。水割りにするとたくさん呑んだ気分になれるが,ジョニ黒の味がわからなくなるのではないかと心配した。ともあれ,今となってはばかばかしいことを色々と考えながら,興味津々に呑んだ思い出がある。しかしながら,味の方はもう忘れてしまった。しかし,その瓶を捨てるのはもったいないと,とっておいた。そして,とっておくだけではもったいないと,その瓶にサントリーレッドを詰めた。そして,時々後輩を呼んで呑ませてあげた。確か,北関東のI県とかいう田舎にある,J総学院とかいうところに勤務しているK君も呑んだ口ではなかろうか。後輩たちはみんな口をそろえて,やはりジョニ黒はおいしいですね。この舌にぴりっとするところがたまりませんねといって喜んでいた。まあ,だいたい人間なんてものはこんなものだろう。バドミントンのラケットで,20000円もする代物でも表面にマジックかなんかを塗って品名がわからないようにしておけば,どれが高くてどれが安いのかは容易に判断できないだろう。

 ひまわりクラブでは毎年,キャプテンとサブキャプテン,マネージャーとサブマネージャが決められ運営されていた。そして,その方々がコーチと相談して色々なことを決めていた。例えば,練習プログラム,ダブルスのペア,その他諸々である。そして,その決定は最終的にはコーチに委ねられていた。頼りない学生のコーチであるが,そのようにしておく方が部の運営がやりやすかったのであろう。何せこちらは若造である。少々のことには目をつむって頂いていたように思う。

 ある時,クラブの中で年齢別に3クラスを設けて,大々的にダブルスの試合をやろうということになった。そして,折角3クラスにわけるのでAクラス,Bクラス,Cクラスとかいった分け方ではなく,クラブの名称からも,花の名前でクラス分けをしようということになった。
 そこでコーチ,すなわち私の登場ということになった。花の名前を3つ考えてくれということで,一任された。わたしは,そのとき,ネーミングに当たって,特徴的で,日本的で,お母さん方のイメージに合った花を考えた。そして3つを決めた。それは年齢別に若い方から,桜,梅,菊であった。我ながらに,なかなかよいグループ分けだと,そのときは思った。しかし,キャプテンがあわてて私の所へこられた。これはまずい,桜は,「姥桜(うばざくら)」に通じる。梅は「梅干し婆(うめぼしばばあ)」に通じる。菊はお葬式になってしまう。とのことであった。私の配慮不足。ごもっとも,ということで,急遽変更。再び無い知恵を絞って,標題の3つを考えたわけである。すなわち,芍薬(しゃくやく)と牡丹(ぼたん)と百合(ゆり)である。なぜかって。そう,立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花,というわけである。自己満足の1発であったが,その評判についてはその後何も聞いていない。

 その節は,他にも配慮を欠いたことが多々ありまして申し訳ありませんでした。二日酔いでお酒のにおいをぷんぷんさせながらお伺いいたしたこともありましたが,いやな顔ひとつなさらず,かわいがっていただきましてありがとうございました。それでは失礼いたします。


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10月8日(水) ウルトラマンの切り絵

 先日,新宿にある末広亭に行ってきた。そこで,ようやくリクエストがアクセプトされ切り絵を切ってもらうことができた。

 この寄席では落語はもちろんのこと,漫才や曲芸,マジックなども出し物としてやっている。また。そのほかにも切り絵というのがあって,私はいつも楽しみにしている。

 3代目林家正楽という紙切り芸人がいるが,この人がよくこの末広演芸亭で高座を務めているのである。無愛想で苦虫をつぶしたような顔で芸を披露する。そして時々客を馬鹿にしたようなしゃべりをするのであるが,それがまたこの人の持ち味なのである。これで芸が下手であれば木戸銭を返せということになるのであるが,良い仕事をするので,この無愛想さが客に媚びを売っていないということで売りとなるのである。 正楽さんについて知りたい人は→ここ

 普通,この人の場合,お囃子と一緒に出てきて,まずは季節物を一枚切る。例えば,春の桜や秋の紅葉などである。無愛想なしゃべりをぶつぶつしながら1〜2分かけて切る。その後,客からお題をもらって切るのであるが,お題を出した人にはその作品がプレゼントされる。2〜3人限定であるが。
 私はこの人がでてくる度にお題を出して切ってもらおうとするのであるが,生来の気の弱さでだめなのである。喉元まで声が出てくるのであるが,最後の一声が出ず,いつもリクエストし損なうのである。

 
しかし先日はうまくいった。正楽さんが季節物を切った後,例によって,「それでは客席からお題を頂きます。それではどうぞ!」といった瞬間に「ウルトラマン!」と客がみんなびっくりするくらいの大きな声でリクエストをしたのである。
 3歳になる息子がウルトラマンの大ファンで,寝ても醒めてもウルトラマン,ウルトラマンといっているのである。だから,これを持って帰れば大喜びしてくれると思って,思わず叫んだのである。


 
バルタン星人と戦うウルトラマンです。スペシューム光線を出しています。息子も大変喜んでくれました。でもこんなのを,ものの1〜2分で切るのだからすごいですよね。

 皆さんも一度末広演芸亭に足を運んでみてはいかがでしょうか。日本の伝統文化を肌で感じることができますよ。それでは,また。


 

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9月28日(月) はと,まめ,ます