10月3日(金) はと,まめ,ます 

 私が昔,ロンドンにあるウインブルドンクラブに所属していたとき,クラブの会員の中にエディー・チューン(Eddy Choong)という人がいた。

 この人はバドミントンの世界では非常に有名な人で,1953年,54年,56年,57年と4回,全英選手権のシングルスを制している。また,全英選手権のダブルスでも1951年,52年,53年と3回,優勝している。すごいの一言に尽きるのである。

 しかし,この人は,ウインブルドンクラブの会員とはいっても1年をとおしてクラブに顔を出しているわけではない。いつもはマレーシアに住んでいる中国系マレーシア人なのである。ただし,この人は大富豪で,ロンドンの高級住宅街であるウインブルドンに邸宅を持っている。これはバカンスと称してロンドンにやってくるときのための邸宅らしい。なんと贅沢なことか。1年に1〜2ヶ月ほど,休暇を取っててロンドンにやってくるらしい。そして,その間,ウインブルドンクラブに顔を出すというのである。

 ある日の夕方,わたしはウインブルドンクラブのバーでたそがれていく外の景色を見ながら紅茶を飲んでいた。誰か適当な練習相手がこないかなと考えながらのことである。そしたら,ロールスロイスに乗ってこのエディー・チューン氏が息子さんとクラブにやってきた。と,こう書くと,この人は見るからにお金持ちで人を寄せ付けないような威厳がある人かな,と思われるかもしれない。が,事実は違う。よれよれの白いバドミントン用のシャツと短パン姿でバーに入ってきて,私の横に座った。そして,同じアジア人らしいということで,愛嬌たっぷりにニコニコしながら,私に話しかけてきたのである。この人,とても気さくで,日本の田舎だったら,どこにでもいそうなおっさん,といった感じである。前歯が数本抜けてなく,数年前に注目されたオウム事件の際に登場した,得体の知れない横山とかいう弁護士に少し似ている。

 さて,エディーが,私に向かって,どこの国から来たのか,と聞いてきた。私は日本から来たと答えた。そしたら,MIYANAGAを知っているか,と聞いてきた。MIYANAGAとは,慶応大学のOBで,元全日本チャンピオンの宮永さんのことであるが,私も宮永さんには何度か飲みに連れていってもらっているので,知っていると答えた。そしたら,こんどはSAKAIを知っているか,と聞いてきた。SAKAIとは,早稲田大学のOBで,やはり元全日本チャンピオンの堺さんのことであるが,私にとっては大学の先輩にあたるので,知っていると答えた。そしたら,この2人とはよく試合をしたといっていた。これをきっかけにその他色な話に花が咲き,話が弾んだ。そして,一緒にダブルスをしようということになった。私とは30歳くらい年が離れているのであるが,その華麗なショットにはびっくりさせられた。Pat DAVIS著のEncyclopaedia of BADMINTON によると全盛期の彼のプレーは「巧みで,頭脳的で,鍛えられただけのプレーだけではなく,スピード感にあふれ,スポーツマンシップを忘れず,見ておもしろく,激しいプレーであった」と記されている。現役当時のプレーは,さぞやすごかったんだろうな,と想像せずにはいられなかった。
 
 1時間ほどダブルスを楽しみ,シャワーを浴び,バーでビールをご馳走になった。結構酔いも回ったところで,この名選手が片言の日本語を話しだした。片言の日本語といっても,会話ではない。そう,「はと,まめ,ます」,「さいた、さいた、さくらがさいた」「すすめ、すすめ、へいたいさん、すすめ」といったセンテンスである。同時に,日本語の歌も歌った。「ぽっぽっぽ,はとぽっぽ,まーめがほしいかそらやるぞ,みんなでなかよくたべにこい」文部省唱歌である。私は複雑な気持ちになった。日本人の1人として暗くて重い気持ちになった。
 なぜこのようなセンテンスや歌をエディーが覚えているかということであるが,戦争の影響である。先の世界大戦の時に旧日本軍はマレーシア半島を占領した。そこで,マレーシアの人たちに強制的な日本語教育を行ったのである。日本語を母国語にさせるためにである。エディーは小さいときに旧日本軍の兵士から日本語の教育を強制的に受けたのである。上記のセンテンスや歌は当時の日本語の教科書にあったものなのである。
 
 エディーは,私が彼の歌を笑い顔も見せずに,暗い顔をして聞いていたことから私の気持ちを察したようで,「遠い昔のことだから」と言ってくれた。さらに続けて,「私が試合をした日本のバドミントン選手はとてもフレンドリーで礼儀正しい人ばかりだった」とも言ってくれた。私は何となく救われた気持ちになった。と同時に,日の丸を背負って海外にでていくバドミントン選手に,外国の選手とバドミントンの試合をすることの意味について今一度考えてもらいたいと心から思った。

 最近,世界情勢に暗雲がたれ込めているようだが,繰り返してはならない,とつくづく思っている今日この頃である。 

Eddy Choong & Fred Brundle著
The Phoenix Book of BADMINTON
1955年発行
タイトルページ
現役当時のエディー・チューン(左)
右は共著者のFred Brundle
ウインブルドンクラブにて

9月30日(火) 東京駅地下街のおみやげ屋 

 私は週に1度、新幹線で東京に行っている。そこで、東京駅地下街のおみやげ屋ということであるが、ここにはよくお世話になっている。特に、特定キャラクター専門のショップでは子供へのおみやげを毎回のように買っている。下の写真のように東京駅中央改札口から地下鉄東西線へ向かう途中に子供が喜びそうな商品をおいているショップが軒を並べているのである。私自身もウルトラマンショップなどでは、昔懐かしい商品を眺めながら楽しんでいる。
 フジテレビショップ、NHKキャラクターショップ、TBSストアーにはテレビでおなじみの番組に関連したグッズやお菓子などがおかれているのでちょっとした話の種になる。子供たちもとても喜んでくれる。TBSストアーでは「渡る世間に鬼はなし」にでてくる幸楽に関連した商品をおいている。家人の両親がこの番組のファンなので幸楽饅頭などを時々買ってくるのであるが、これもまた喜ばれる。
 
 なんということもない話であるが、機会があったらお立ち寄り下さい。

ラスカルと世界名作劇場ショップ フジテレビショップ ウルトラマンショップ
ドングリ共和国ショップ NHKキャラクターショップ TBSストアー


9月25日(木) イノシシと出会う 

 先日、少しばかり時間があったので、大学から車で50分の所にある釜ヶ谷山(696m)に登ってきた。

 そこでイノシシなのであるが、登山口から30分ばかり登ったところで偶然出会ってしまった。しかし、このようなところで大型動物に出会うと感動する。と同時に危険も感じてしまう。イノシシとはいっても、ちゃんと牙もあり足も速いらしい。緒突猛進というくらいなので、むかってこられるとかなり危険らしい。今回は、登っていた登山道の先約7〜8mの所で獣道からでてきたイノシシと出会ったのだが、これがばったりと鉢合わせしていたとしたら、おそらく攻撃を仕掛けられていたことだろう。さらにこれが子連れのイノシシであったら最悪だったかもしれない。運良く少し離れていたことから相手も私の存在に気づき、少し立ち止まったあと、私の方を振り返りながら山奥へと姿を消していった。
 デジカメで撮ろうと思ったが時間的に余裕がなかった。

 山歩きをしていると色々な生き物に出会う。色々な生き物に出会いたかったら、あまり有名でない人気が薄い山に行くとよい。動物も人間のことが嫌いなので人の気配が多いところにはあまりでてこないようである。山深い所にあるマイナーな山へ平日の早朝、単独で行くとよいかもしれない。ただし、遭難にはご注意を。鹿や狐や猿にはしょっちゅう会うことができると思う。空を見上げたらクマタカなども飛んでいる。蛇だったらどこにでもいる。マムシやアオダイショウやシマヘビなどだったら金華山のようなひとけが多い山でも見ることができる。ちなみに金華山には台湾リスが多く棲息しているが。

 しかしながら、やはり熊にはあまり会いたくはない。中には山で熊に会いたいと言う豪傑もいるが、私はあまり好きではない。しかし、一度だけ熊に出会ったことがある。あれは3年前の夏のことであった。鈴鹿山脈の最北端に位置する霊仙山(山頂1083.5m ・最高点1098m) への山行の時だった。
 私は、人の気配が少ない道ということで、西南尾根コースというルートを単独で山頂目指して歩を進めていた。ちなみに、このコースは踏みあとが薄く道に迷いやすいため、登山口には「このルートを利用したことのない人はコースを知っている人と一緒でないと危険です」という旨が書かれた看板が立てられているのであるが、案の定、単独行者の私は道を失ってしまった。ちょうど、山頂への中間点くらいで背丈以上のブッシュがおおい茂るところがある。そこで、獣道に迷い込んでしまったのである。獣道、まさに動物が移動のために利用する道で、これが登山道の踏みあとが薄い部分とクロスオーバーしていると間違って動物たちの道に迷い込んでしまうのである。そうなると、背丈より高いブッシュのために自分の位置がわからなくなってしまう。動けば動くほど、もがけばもがくほど深みに入っていって進退窮まるのである。そのときも30分くらい歩き回ったがブッシュは深くなるばかりで少しばかり焦ってしまった。こんな時は一休みするに限るということで腰を下ろして水を飲み飴をなめた。そして、大きく深呼吸をして空を見上げたところ、少しばかり先に大きな木が立っているのを見つけた。そこで名案、その木に登って自分の位置を確認することにした。一心不乱にブッシュをかき分けその木を目指して歩を進めていたところ、あと少しというところでちょとした空き地を見つけた。そして、そこへ足を一歩踏み入れたところ、中から大きな黒い生き物が、ガサゴソと飛び出しきたのである。最初は訳が分からなかったのであるが、よく見ると黒い熊。私は一瞬フリーズ、瞬間冷凍したが、幸いなことに、私の方には向かってこず、反対の方向へ全速力で逃げ去ったのであった。熊もこんな所に人間が来るとは思わずびっくりしたことであろうが、私もこんな所に熊がいるとは思わず、思わず腰が抜けるほどびっくりしたものであった。

 その後、木の上から自分の位置を確認したところ、登山道からほんの十数mの所にいた。同じ所をぐるぐるぐるぐると堂々巡りをしていたのである。人間とはだいたいこんなものである。視覚に頼らなければ自分の位置すら確認できないのである。そのときには、渡り鳥をはじめとする自然界の動物の能力に感心をしました。

 無事に頂上を踏み、下山の途中で地元の人に会ったので熊の話をした。そうしたら地元の人は、このへんには熊はいないはずだけど、と言っていた。しかし、私の目に狂いはない。ほんのすぐ前で見たのである。地元の人は鹿と見間違えたのではないかといっていたが、私は絶対に熊だと主張した。しかし、受け入れてはもらえなかった。ま、そんなことはどうでもよいが。いや、よくないよくない。誰かが被害に遭うかもしれないからだ。

 その数ヶ月あと、もう一度、同じ霊仙山に登りにいった。そうしたら登山口に、熊情報として、最近この地域に熊が出没していますとの旨が書かれた立て看板があった。山奥にエサが少なくなったのでこの辺に出没しているとのことである。私が出会ったのは、やはり熊であったのである。うれしいような怖いような。あの状態で熊の攻撃を受けていたら、惜しい人材が失われていたかもしれない。

 皆さん、山では熊に注意をしましょう。


9月19日(金) 禁煙に賛成

 先日夏休み明け、総合福祉学科の3年生と廊下でばったりあった。2年生の時にゼミを担当していた学生たちである。と、いきなりその子たちが、先生聞いて聞いてよ、と話しかけてきた。そこで、私は、どうしたっ、と聞き返した。そしたら、学生曰く、今さっき、**先生に質問があったので研究室にいったのだけど、部屋の中がたばこ臭くてたばこ臭くて、ちょっと居ただけで気持ち悪くなっちゃいました。何とかならないですかっ、ということであった。

 本学では、近年、分煙が徹底され、学生用に1室、教職員用に1室喫煙所が設けられているので、私などのような嫌煙家が直接たばこの煙を吸い込むことはなくなってきたように思われる。しかし、心身共にデリケートな私などは、喫煙をする学生がたばこを吸った直後に私の研究室を訪れたときなどには、たばこ臭くてたばこ臭くて、気持ちが悪くなり吐き気をもよおすことがある。しかし、こんな時でも、相手は年頃の女性である。心優しい私などには「君、たばこ臭いよ」といった言葉は口が裂けても言えない。したがってひたすら我慢をし、彼女ができるだけはやく退室してくれることを心から願っている次第である。まして、たばこの煙が充満した研究室に行くとなると相当な勇気が必要となろう。もし気の弱い学生だったら、そんなときにでも、先生に面と向かってたばこ臭いとは言いにくかろう。

 私の娘が通う小学校もこの2学期から敷地内全面禁煙となった。だから、職員室はもちろんのこと校庭も禁煙である。もちろん、学業期間だけでなく、学校開放等で一般の人が校庭等を利用するときも全面禁煙である。これは教育的に、健康的に、倫理的に、経済的に、その他、何的でもいいや、極めてよいことである。


 
と、こんなことを言うと、必ず、喫煙権はどうなる、20歳以上の喫煙は法律でも認められているのだぞ、と、叱られることになるが・・・・・。

 いっそ、たばこ取締法かなんかを作って、麻薬同様取り締まったらよいのにと、私などは思ってしまうのではあるが・・・・。でもそうなったら、たばこが暴力団の資金源になるかもしれない。また、海外旅行の帰りに、下着の中にたばこを隠して持ち込む者がでるかもしれない。さらに、たばこに手を出した芸能人の謝罪会見をテレビで見ることができるかもしれない。そして、ニコチン依存者の禁断症状による傷害事件が多発し、それが社会問題となるかもしれない。

 東海女子大学の学生の皆さんの中で喫煙をされている方がおられましたら、美容と健康のために、大至急禁煙をしましょう。
 
 総合福祉学科専門科目「人間健康学」担当 あららぎかずま。

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9月16日(火) 夏休みが終了しました

 昨日をもって長い夏休みが終わり、今日から学業期間が始まった。とはいっても、9月24日(水)までは補講・集中講義期間である。したがって、これらを担当しない私の授業の開始は9月29日(月)である。そこで、これからの2週間は後期開講科目のための準備期間ということで汗を流さなければならない。

 さて、今年の夏休みを振り返って、これまでと違ったことはプールに足繁く通ったことである。もちろん、私が行きたくて行きはじめたわけではない。子供たちにせがまれてのことである。しかしながら、楽しかった。プールにはいるのは約20年ぶりのことで、さらに、水着を買ったのは約25年ぶりのことであったが。

 私はこれまで水泳が好きな方ではなかった。だから、プールへは行かなかった。もちろん泳げないわけではない。こう見えても高等学校教諭と中学校教諭の1種普通免許状(保健体育)を持っているので、水泳の指導法も一応は勉強した。事実、20年ほど前には、短大の初等教育学科の学生に水泳の指導をしたこともある。しかしながら、何となく、水が好きではないのである。温泉は好きだけれど・・・。小さいときに、海や川でおぼれかけたことが何度かあってそれがトラウマになっているのかもしれない。

 今回、20年ぶりにプールで泳いでみた。小学校1年生の娘に水泳を教えるためにである。泳げるかどうか不安であったが、クロール、平泳ぎ、背泳ぎと問題なく泳ぐことができた。まっ、これも考えてみれば自転車と同じことだ。一度マスターしたらブランクがあっても身体が覚えているということだ。しかし、今回の水泳については、20年前よりも楽に泳ぐことができるように感じた。なんでだろー、と考えたところ、思い当たる節があった。それは体脂肪率である。20年ほど前、水中体重秤量法という方法で体脂肪率をはかったところ、11.5%であった。で、当時の体重から推測すると8kg余りの脂肪を蓄えていたことになる。現在、簡単な方法で体脂肪量を計ったところ、私は約16kgの脂肪を蓄えているようだ。したがって、今、私は、20年前と比較して、8kgも多くの脂肪をつけた状態で泳いでいることになる。承知の通りに脂肪の比重は低い、したがって、水にはいると浮力が生じ、浮き袋の役目を果たすのである。だから、とても泳ぎやすかったのである。

 ともあれ、今年の夏休みは、自転車、山登り、スイミング等で真っ黒に日焼けをしました。あと、研究論文さえうまく書けると、よい夏休みだったということになるのであるが・・・。(これからがんばろう。)


 あっ、書き忘れた。ぐーたろうさん、都市体お疲れさまでした。それから、激励のメールありがとうございました。今度は、県体がんばりましょう。

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7月28日(月) MTBで乗鞍スカイライン