6月26日(木) 日焼け止めクリーム
 
 10年ほど前、バドミントン日本代表チームの強化合宿が奈良県生駒市にあるサンヨースポーツセンターで行われた。私はこの合宿に、女子チームのコーチとして参加した。

 合宿何日目かは忘れたが、後半の頃であった。その日も、午前と午後の2回、T監督を中心に計画した練習メニューにしたがい、女子チームの面々は気合いを入れて練習を行った。しかしながら、その日の練習は、合宿後半ということもあって、疲れのためか多くの選手に集中力に欠ける場面が多々見られた。そこで、午後の練習も終わりとなる頃、T監督から檄が飛んだ。そして、グラウンド10週ランニング、という追加メニューが言い渡された。
 これで1日の練習も終わりと思っていた選手たちは思いっきりがっくりしたが、監督の命令とあっては従わざるを得ず、一度ゆるめた緊張の糸を再び張ることとなった。少しの休憩の後、「グラウンドに集合」というT監督の指示が飛んだ瞬間、選手が脱兎のごとく体育館の外へ駆け出した。私は、やはりナショナルチームのメンバーともなると行動が迅速で、見ていて気持ちがよいと思った。そして、私も夕食の時に飲むビールをおいしくするために選手と一緒に走ろうと思いグラウンドに出ていった。しかし、選手が誰もいない。おかしいなと思って、あたりを見渡すと、選手たちが1人2人と宿舎から駆け足で出てきた。そうなんです、選手たちは体育館に併設された宿舎へ、あることをするために、脱兎のごとく駆け出していったのです。
 選手たちがグラウンドに集まってきたので、その顔をよく見てみた。そしたら、顔におしろいがべたべたと塗られていた。売れない旅芸人のようにである。両方のほっぺた、おでこ、あごのあたりが「おしろい」で真っ白になっていた。
 と思ったら、それは「おしろい」ではなく、日焼け止めクリームであった。まあ、時間があればもっときれいに塗るのであろうが、あわてて塗ったらしく、売れない旅芸人のような顔になってしまったという次第である。

 これは、社会人選手の指導をしたことがない私にとって、全く予期しない出来事であった。しかし、君たち、君たちはスター選手なんですよ。日焼け止めクリームぐらい、時間がないからといっても、もっと上手に塗りなさいよ、と私はいいたかった。まあ、スター選手も、スター選手故に美白を気にしなくてはいけないのか・・・・。スター選手になるのも大変なのではある。
 しかし、
もっと練習やトレーニングに全神経を集中させなさいよ、というところが私の本音で、本当は声を大にして言いたかった、が、相手が年頃の女性だったので言えなかった。おそらく女性の指導者であったならば言っていたであろう。

 と、こんなことを考えていると、本学の運動部員のことが頭をよぎった。本学には全国的に有名な、ホッケー部やソフトボール部、テニス部、ソフトテニス部があるが、部員は、例外なく、見事に日焼けをしている。春の頃はそれほどでもないが、6月ぐらいになるとだんだん黒くなってくる。そして、8月の夏休み頃にはピークをむかえ、見事なまでの小麦色となる。焼けるというよりは焦げるといった方が的確な表現であろう。そして冬に向かう頃にはだんだん白くなっていき、雪の降る頃には、雪のような白さになるわけでもないが、それなりに白くなり、また春を迎えるといった次第である。

 蘭ゼミの、ソフトボール部員、H山さん、N川さん、N倉さん、G田さん、K藤さん、スキンケアは大丈夫ですか?
 オゾン層の破壊のために紫外線対策が必要のようです。お肌を大切に練習がんばって下さいね。また、H山さんは卒論の方もがんばって下さいね。

 それでは皆さん、さよなら。

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6月18日(水) スポーツとジェンダー

 本日、2限目の運動・スポーツ論の講義で、スポーツとジェンダーというテーマを取り上げた。先週に引き続きの第2回目であった。本学が女子大学ということもあって、問題提起をしてみた。

 取り上げた内容は、オリンピックにおける実施女性種目の変遷等から見たスポーツ界における女性差別の歴史、新聞報道から見た女性スポーツへの偏見、スポーツや体育の場におけるジェンダーバイアス、つまり、男らしさや女らしさの呪縛の問題点、シドニーオリンピックにおける、参加選手数(男女比 59.7:40.3)と参加役員数(92.5:7.5)のアンバランス、女性指導者の少なさ、などから見たスポーツ界における女性軽視の現状、スポーツ界におけるセクハラの現状などであった。

 講義後、受講生には毎回ミニレポートを提出してもらっているが、先週のレポートでは、ほとんどの学生が、スポーツ界における女性軽視の現状に対して、異口同音にいたく腹を立てていた。そして、多くの学生が、これらの現状に対し、何とかしてほしいと書いてきた。そこで、今日の講義では、この点に触れて、何とかしてほしいとは何事か。自分たちで何とかしようという気にはならないのかと檄を飛ばした。そうしたら、今日のレポートでは多くの学生が、その一言にはっとさせられたと書いてきた。自分の身の回りの、できることから変えていきたいと書いてきた。受講生の中には多くの本学運動部員もいるので、本学運動部のさらなる発展を期待したい。

 と、ここまで書いて、日本バドミントン協会の公式HPを覗いてみた。そしたら、協会組織のページに平成15,16年度の役員が写真入りで出ていた。それによると、会長1名、副会長3名、専務理事1名、理事15名、すべて男性であった。さらに詳しく調べてみると、昭和21年に日本バドミントン協会が設立されて以来、女性役員は1名しかいない。しかも、平成13,14年度の1期だけである。

 これでいいのでしょうか?女性シャトラーの皆様。日本のバドミントン界は女性がリードしてきたのではないのでしょうか?男子はトマス杯を獲得したことはありませんが、女子はユーバー杯を5回も獲得しているではありませんか。また、全英選手権でも、男子では選手権者を一人もだしていませんが。女子ではシングルスで6人、ダブルスで6組もの選手権者を出しているではありませんか。黙っててもいいのですか?

 昨年のルール改正の際、すなわち、女子が関わる種目すべてが1ゲーム11点制になったとき、英国やカナダなどの女性団体から、これは女性差別にあたるとの抗議があり、それを受けてイングランド協会などが異議を申し立てた。そこで、国際バドミントン連盟(IBF)は、総会を開き、再び、従来のルールに変更をおこなったということがあったが、この際にも、大和撫子シャトラーからは何の声も聞かれなかった(ように思えた)。

 低迷する日本のバドミントン界であるが、競技力を世界レベルに引き上げるために、そして、プレーヤーやサポーターにとって魅力ある競技にするために、多くの女性の力が必要なことはいうまでもなかろう。

 ということで、今日の講義の続きはおしまい。

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5月6日(木) 小学生大会を見て

 先日、第20回岐阜県ジュニアバドミントン大会兼全国ABCバドミントン大会選考会が山県市総合体育館で開催されたので見に行った。

 そこでは、色々とびっくりすることや考えさせられることがあったので、徒然なるままにちょいと一筆。

 まず最初にびっくりしたことは、小学生のくせに、大人みたいに力強いプレーをする子がたくさんいたことである。まあ、バドミントンで勝つことを優先したプレーをしているのである。これは必ずしも悪いことではないとは思うが、打ち方をじっくりと見ていると相当無理をしている。そりゃそうであろう。あんな小さな身体で大人と同じ広さのコート、同じ高さのネットを使ってバドミントンをやっているのだから。おいおい、そんな打ち方をして関節や筋肉や骨や靱帯などを痛めませんかね、と思わず、老爺心ながら、心配をしてしまった。もっと、小さなコートで、低いネットで試合をやらせてあげるわけにはいかないものでしょうかね。そおしたら、もっとラリーも続いておもしろいと思うのであるが。だいたい、ルールというものは、歴史的にも、プレーをする人の力量にあわせて作られ、進化してきたものなのである。
 これについてはここを参照。
 ルールに人間を合わせる必要はないのではないかと思うのである。

 聞くところによると、上位進出をする子たちは週に4日も5日も練習をしているそうである。すごくがんばっているとは思うが、無理をしている子も中にはいるのではなかろうか。無理をするとは、もちろん、心身共にということであるが、上位進出者の何割が、私のようなおじさんやおばさんになってもバドミントンを続けていられることであろうか????

 やっぱり、生身の人間ですから、無理は禁物でしょう。車だって、若葉マークの若者が、新車を買ってきて、いきなり、ガンガンとばしていると電信柱にぶつけて、廃車にしてしまうこともあるでしょう。タイヤだってすり切れるし、ブレーキだって効きが悪くなる。また、定期点検や日々のメンテナンスを怠れば自ずから寿命は短くなる。

 子供がバドミントンのことが好きでやりたがっているから、練習をたくさんやっている、という向きもあるだろう。また、今鍛えておかなければ手遅れになるとお考えの向きもあるだろう。しかしながら、子供の脳は発達途上で、まだ、疲れるという感覚が十分に備わっていないのである。「疲れを知らない子供のよーおにー、時が二人を追い越してーゆくー」という布施明の歌が昔あったが(古い)。まさにそうなんです。子供は疲労感を十分に感じることができないのである。つまり、抑制が利かないのである。したがって、子供のいうことを真に受けていると、ある日突然、ぷっつん、ということになるのである。これは、精神的にも肉体的にも同様である。
 だから、小学生などでは、よく、突然、熱を出したり、腹痛を訴えたりするのである。大人はまず疲労を感じて、そこで無理をすると熱が出たり、身体的に異常がでてくるのであるが、子供は中間の疲労を感じるというところが未熟で欠落しているのである。

 小中学生の時期、バドミントンをやるときに、大人が考えてあげなければならない、もっとも大事なことは、その子の器を大きくしてやることではなかろうか。器が大きければ、将来、水(バドミントンの専門体力・技術・戦術etc.)をたくさん入れることができると考えられる。また、水(バドミントンの専門体力・技術・戦術etc.)だけではなく、人として生きていく上で重要なことをたくさん入れることができるのではなかろうか。この前の試合で見てきた子の中には、けなげにも、小さなコップに水をぎりぎりまでついで、やっとの思いで運んでいるように見える子も少なからずいた(ように感じた)。水がこぼれた時点で、その子は、バドミントンをやめてしまうであろう。

 ここで、大きな器と表現される子の資質について考えたいが、例えば、次のようなことであろう。
 色々なことに興味を持つことができる、何事も自分で考え、自分でやろうとすることができる、やり始めたら最後までやり抜くことができる、集団(社会)の中で、1人でちゃんと生きていくことができる、合理的な身のこなしができる、基礎的な体力を養成することができる(栄養、運動、休養を自らが積極的にとることができる、つまり、自己管理ができる)などのことではなかろうか。
 
 したがって、この時期には、バドミントンを通じて、これらの要素を高め、器を大きくしてあげることが大切ではなかろうかと思う。器の中に入れる水は持って走り回ってもこぼれない程度の量で十分ではなかろうか。
 この時期、器に入れる水は名水がよろしい。それは濃厚な基礎技術で、これを時間をかけながら、器が大きくなっていくのにあわせて、少しずつ注いでいきたいものだ。当然、勝ち負けは2の次にした状態でということだが。とはいっても、本人たちは目の色を変えて勝ち負けにこだわることもあるだろう。そこで、せめて大人たちだけは目の色を白目のままにしておきたいものだ。決して、赤く血走らせることだけはさけたいものだ。

 
大器は晩成する、という言葉があるが、まさに、ゆっくりと時間をかけて、大きく育てることが大事なのではないかと、小学生の試合を見て、考えさせられた次第であります。ハイッ。

 いやー、今日はメッチャまじな話でした。それではまたの機会に。


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5月30日(金) 山手線の時刻表
  
 ここでいう山手線とは、東京のど真ん中に位置し、JR東日本旅客鉄道株式会社が管轄する鉄道である。

 この山手線は極めてビジーな路線で毎日多くの人が利用をしている。1日あたり、いったいどのくらいの利用客があるのか、想像もできないが、JR東日本のドル箱であることは想像に難くない。したがって、一日中、ひっきりなしに電車が走り回っている。夜の12時台ですら、4〜5分おきに電車がくる。ラッシュ時には、それこそ、1本の電車が発車したと思ったらまた次の電車がホームに滑り込んでくる。だから、私などは、いっそのこと、山手線1周、電車でつないだらよいのになどと考えてしまう。
 だから、ふつうの場合、始発電車や終電車は別にして、時刻表を調べて山の手線に乗ろうとする人は、ほとんどいないと思われる。

 しかしながら、地方に住んでいて、東京に行ったことのない者には、このことが想像できない。わたしは、H市に住んでいて、いつも名鉄の竹鼻線を利用しているが、この路線では、朝夕の通勤通学の時間帯でも、1時間に4本しか電車がこない。しかも、ターミナル駅である新岐阜駅まで直通で行ける電車は1時間に2本しかない。あとの2本は途中の笠松駅で名鉄本線に乗り換えなければならないのである。これでも、まだ便利になった方である。10年前は1時間に2〜3本しか電車がなかったからである。したがって、電車に乗るときは、必ず時刻表をチェックすることにしている。

 わたしが、以前、東海女子大学バドミントン部の監督をしていたとき、選手がジャパンオープンの出場権を得た。そこで、原宿駅から徒歩約10分の所にある代々木第2体育館でおこなわれる試合に出場するために、新宿駅から徒歩5分の所にある京王プラザホテルに泊まった。このとき、選手には試合に専念させるためにマネージャーを1人同行させた。
 そこで、山手線の時刻表なのであるが、チェックインを済ませ、ロビーのソファーでくつろいでいたところ、このマネージャーが私の方へ歩み寄ってきた。手にはフロントで借りてきたという分厚い時刻表を持ってである。そこで、わたしに、明日のスケジュールを相談したいと言ってきた。そして、何時の電車にしましょうかと聞いてきた。もちろん、わたしは、真剣に彼女の話に耳を傾けて、試合開始時間をきいた。そして、どの経路で行こうかと尋ねた。彼女は、時刻表をめくって、新宿駅で山手線に乗って、3つ目の原宿で降りると会場に行けます、と答えた。そして、新宿発山手線内回り電車の時刻を調べ始めた。そして、そのページを見つけた。そしたら、彼女はおもむろに時刻表を閉じ、フロントに向かって歩き出した。もちろん時刻表を返すためにである。そして、戻ってきて言った。何で教えてくれなかったんですか、と。そこで、私は言った。明日はバスで会場に行こう、と。彼女は怪訝な顔をした。そりゃそうでしょう、ジャパンオープンくらいの大会になると、選手を山手線なんかで試合会場には行かせませんよ。シャトルバス、シャトルバスがホテルから代々木第2体育館の選手用出入り口まで乗りつけるのです。
 でもこのマネージャーはバスに乗って喜んでいた。世界チャンピオンをはじめとする一流選手と一緒にバスに乗ることができたからである。とてもはしゃいでいました。でも、気持ちは分かります。しかし、バスの中でサインをねだり始めやしないかと冷や冷やしました。

 ともあれ、このマネージャーは、その後、色々な経験を積んで一流のマネージャーに成長しました。そして、東海女子大学バドミントン部のために尽くしてくれました。めでたしめでたし。

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5月23日(金) 娘とバドミントンその2
 
 4月10日以来、毎週木曜日の夜に、60分〜90分程度、小学1年生の長女とバドミントンを楽しんでいる。

 昨日は、5限目の卒論ゼミのあと、学生の質問に対する回答が長引いた。で、大学を出る時間が大幅に遅れた。娘とのバドミントンはクラブの会員が集まる前におこなうので、体育館に行くのが遅れると、それだけやれる時間が少なくなるのである。きっと、娘はやきもきしながら私の帰りを待っているだろうなと考えながら、いつもは1時間かかるところを、マウンテンバイクのペダルを全力でこいで、40分で帰宅した。案の定、娘は、帰るのが遅いと怒っていた。そこで、着替えもそこそこに、水を一杯飲み干して、体育館へと車で出かけたのであった。

 さて、娘とのバドミントンであるが、最初の頃は、ラリーがよく続いた。しかしながら、最近は続かなくなってきた。理由は明らかで、娘が本格的にシャトルを打ちたいと言い出したからである。
 実は、隣のコートで、小学校高学年の女の子が、お母さん相手に、クラブのメンバーが集まる前にマンツーマンで練習をしているのである(ちなみに、そのお母さんは、私の教え子であるが)。で、その子がスマッシュなどをかっこよく打つのである。それを見ている娘が、あのお姉ちゃんみたいに打ちたいと言い出したのである。まあ、私としては、まだ10年はやい、などということもいえず、じゃあやってみようかということで、ハンドルの持ち方とか、ストロークについて少しだけ教えた。娘としても、いっぱしのバドミントン選手になったような気分で、ちゃんと教えてくれないとだめだよ、なんて生意気なこともいっていた。
 しかし、そうはいっても、当たるわけがない。娘は何回やってもうまくいかないので、そのうちに、おとうさんの教え方が悪いと怒りだした。そして、しまいには、泣き出してしまった。まあ、そんなショウもないことで泣きなさんな、ともいえず。そのうちに、必ず、おとうさんが打てるようにしてやるからねと、心ならずも言ってしまった。

 そこで、ここ2〜3回の練習では、「ビシッ」と打てるようになりたいという娘の要望で、そのための練習をしている。子供の運動学習能力は、大人のそれに比べて格段に高く、なんでもすぐに吸収していくように思える。まあ、少しずつではあるが、「ビシッ」に近づいてきたようである。で、昨日は一つの工夫をした。それは、ネットを低くするということである。つまり、通常では155cm位の所にネットの上端がくるのであるが、それをぐっと下げて、娘のあごの高さくらいに上端がくるようにネットを張った。そうしたところ、目に見えて「ビシッ」になってきたのである。それはそうであろう、娘の身長は約110cmであるので、155cmのネットの高さは、身長の約1.4倍になるのである。それを私に置き換えてみると2m42cmのところにネットの上端があるのと同じなのである。これは、子供にとって、大きなプレッシャーである。目前にそびえるネットはどうしても目に入ってくる。やはりこれでは「ビシッ」にはなりそうにもない。
 で、低いネットを挟み、ショートサービスラインあたりに娘を立たせ、シャトルをトスしてやると、相手コートのバックバウンダリーラインの向こうまでシャトルをとばすことができるようになった。ただこれだけのショウもないことではあるが、娘は飛び上がって喜んでいた。まあ、親としては、娘の喜ぶ姿を見て悪い気持ちはしない。こおやって、娘と一緒にスポーツができることはとても幸せなことなのであろう。で、こんな話を家に帰ってきてしていると、年中になる2番目の娘も、私もバドミントンに行きたいと言って、お母さんを困らせている。もう少し大きくなったら、姉妹でやるのもいいかなと思っている今日この頃である。


 さてさて、こんなバドミントン、いつまで続くことやら。

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5月16日(金) サンバタラケット
 
 このサイトのバドミントンあれこれのページの中で紹介している、昭和30年代後半に作られたと思われるサンバタ社製のラケットがフジテレビ作成のテレビ番組にでた。といってもほんの数秒程度であるが。そのラケットとは→ここ
 上記に関連して、3月の下旬に、突然、フジテレビの番組制作会社のスタッフの人からメールが届いた。内容は以下のとおりである。

 実は、私どもはフジテレビで20世紀の遺伝子という番組を制作しておりまして、20世紀に偉大な功績を残された方を毎回1人出演者に迎え、その方の生い立ちから現在までをインタビュー形式でお伺いしまして、インタビューと資料映像、写真で構成してお送りしている番組でございます。今回ヨネックス創業者でもあります、米山稔氏を番組にお迎えしました。そこで、彼の生い立ちから現在までを番組内で構成する際に、ヨネックスがバドミントンの研究をさせていただいたサンバタ社のバドミントンラケットがあれば思い、探しておりましたところ、HPで拝見できたので、それをお借りする事は出来ないかと思いまして、ご連絡させていただきました次第です。サンバタに関してはいろいろ調べてはいるものの、なかなか資料が見当たりません。もし他にご存知のことがありましたら、教えていただければと思います。突然のご連絡で失礼ですが、よろしくお願い致します。

 という依頼であった。これに対して、私としては断る理由は全くこれなく、また、お役に立てるのであればということで、喜んで宅急便でお送りしお貸ししたという次第。現役時代そして監督時代、ヨネックスさんにはラケットの提供等ずいぶんお世話になったので、よかったと思っている。
 で、数日前、4月26(土)の朝放映されたビデオが送られてきたので、それを見たら、ちゃんと私のラケットが数秒間ではあるが画面一杯に大きく映し出されていた。実は、このラケットは知り合いの大学教授からもらい受けたもので、その教授曰く、自分がもっているよりもおまえさんがもっている方が世の中の役に立つだろう、ということであったが、本当に役に立ってよかった。

 ビデオを見たら、ヨネックス社の創業者である米山稔氏は新潟の下駄製造を生業にしている家に生まれ、戦後その技術を活かして、おき網漁の浮きの製造工場を起こしたが、プラスチックの登場でうまくいかなくなり、それにかわる起業として、下駄作りで培った木工加工の技術を活かしてラケット製造業をはじめたということであった。最初は、サンバタラケット社の下請けとして仕事を始めたそうだが、そのサンバタ社の倒産によって連鎖倒産の危機もあったが何とか乗り越えて、現在のような世界的なバドミントンラケット製造メーカーになったということだ。そこで、私のサンバタラケットが必要になったという次第。
インターネットの普及でテレビ番組制作会社も機動力が増したということか。yahooの検索画面でサンバタと打ち込むと、やはり私のサイトのサンバタラケットのページがでてくる。
 
 こんなこともあるんだ、ということで今日はおしましい。じゃんじゃん。


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5月8日(木) 新宿末広亭

 
 新宿末広亭とは、東京は新宿の末広町にある演芸場のことである。場所は新宿のど真ん中、都営地下鉄新宿線の新宿3丁目駅下車徒歩3分のところにある。末広亭が気になる方はこちらへどうぞ→ 末広亭のHP
 私は落語や漫才が大好きで、大学生の頃からこの演芸場にはよく通っていた。バドミントンの試合でなかなか勝てないときや、何となく調子が悪いときには特によく通った。人間、誰しも浮き沈みはある。そこで、くよくよしたからって何も始まらず、いっそ笑い飛ばしてやれば、笑う門には福来るで、事実そうなったものだった。そうそう、同様に、こんなときには、早稲田松竹という映画館にもよく行きました。ここは昔の映画を専門に見せるところで、2本立てで、20数年前だが、300円くらいだったと思う。いや、よく行きました。西部劇とか時代劇とか健さんとか寅さんとか、よく見に行ったものである。今はたぶんない。
 
 さて、話を元に戻して、この末広亭には大学卒業後もちょくちょく行っています。といっても、東京は遠いのでわざわざ行くことはできない。そこで、東京に泊まりがけの出張ができたときを利用してのぞきに行っている。ちなみに、東海女子大学は杉並区に学生会館をもっているので、東京出張の際はそこに宿泊すると宿泊費がでるのであるが、私は、この末広亭で落語を聴くために、あえて自腹を切って新宿のホテルに泊まっている。といっても、ふつうのビジネスホテルに泊まると8000円程度はするので、新宿4丁目あたりにたくさんある4000円以下で泊まれる木賃宿に宿泊するのではある。
 新宿で泊まるのには理由がある。末広亭では毎日2回寄席が開かれている。つまり、12:00〜16:30までの昼の席と17:00〜21:00までの夜の席の2回である。当然、私が聴くのは夜の席ということであるが、いつも出張の際はだいたい夜の6時過ぎに新宿にたどり着く。そして、末広亭の隣にある居酒屋で一杯引っかけて、7時過ぎに木戸をくぐるのである。ちなみに、7時を過ぎると木戸銭が2700円から2000円に値引きされ、また、寄席はこのころ中入りとなり、落語家や漫才師等の芸人も一流どころが高座を務めはじめるので好都合なのである。で、これから2時間みっちりと落語や漫才や曲芸や紙切りなどの芸を楽しみ、9:00過ぎに打ち出しとなるのである。で、ここからが問題なのであるが、末広亭から杉並の学生会館へは、門限時間を気にしながら新宿の雑踏を新宿駅まで歩き、満員の中央線に揺られて行かなければならない。これが大問題なのである。落語を聴いたあとの余韻を楽しむまもなくあたふたとしなければならないのである。芸人の軽妙な語り口を反芻することができないのである。クラッシックコンサートを聴いた直後に雑踏の中に足を踏み入れたくない心境ににている。
 
 昔は純粋に落語を楽しむために末広亭に足を運んでいた。が、最近では勉強のために足を運んでいる。といっても、もちろん落語を勉強するためではない。特に、東海女子大学で講義を担当するようになってからであるが、話術を勉強しようと思って末広亭を冷やかしている。つまり、講義の時に少しでも学生さんにわかりやすくておもしろい話ができるようになりたいと考えているのである。講義では、その内容、つまり、学生諸君が興味を持つ内容の吟味が必要である。しかし、いくらおもしろい内容でも、語り口がおもしろくて、わかりやすくて、軽妙で、変化に富んでいなければ眠気を催してしまう。で、落語家や漫才師はしゃべりのプロ、プロ中のプロなのである。前座といえども、しゃべるということだけに関しては、わたしたちが逆立ちをしても勝てないのである。だから、彼らから学ぶことはたくさんあるのである。しかし、テレビやビデオではよくない。ライブに限る。場の雰囲気をつかみながらしゃべる、この技術を私は勉強したいのである。
 わたしは講義の際、学生諸君に私語、居眠り、遅刻、早退は厳禁とすると宣言している。したがって、おしゃべりをする学生は皆無である。もちろん、遅刻や早退をする学生もいない。しかしながら、居眠りをする学生が時々いる。机に顔をつけて寝ている学生の場合は論外で彼女が悪い。したがって、そのような場合は彼女の席に行って、机をとんとんとたたき、まずは起こすことにしている。そして、両親の顔を思い浮かべなさいという。さらに、ご両親がどんな思いで君のための授業料を稼いでおられるかを考えなさいと、諄々と説くことにしている。ふつうの場合、これで彼女は2度と居眠りをしない。しかし、それとは違うパターンの居眠りもある。先日、運動・スポーツ論の授業の際、私からみて一番左の列の前から4〜5番目の席に座っていた、某ソ**ボール部2年生のGちゃんが、講義中、「うとうと」し始めた。ちなみに、このGちゃんであるが、実は、私のゼミ生でとっても礼儀正しく、ソ**ボールの練習でもがんばっている学生さんである。お昼休みに体育館で一人黙々とトレーニングする姿をわたしは何度も見ている。そのGちゃんの「うとうと」は、本当に一生懸命に私の話を聞こうとしてはいるのであるが、自然と瞼が閉じていってしまう状態の「うとうと」で、途中ではっと気づき、目をこすって聴こうとするのであるが、また、自然とまぶたが・・・・。Gちゃんごめんね。こんな時は自分の力不足を感じます。眠気を吹っ飛ばすようなしゃべりができたらと思う今日この頃です。
 ということで、新宿末広亭通いはまだまだ続きそうです。

 
 それでは、お後がよろしいようで。

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5月1日(木) 福祉スポーツコース
 
 平成16年度から東海女子大学の総合福祉学科の中に福祉スポーツコースが開設されることになりました。
 ここでは、「みんなのスポーツ」を実践するために、弱者の論理からスポーツを考え、いつでも、どこでも、だれでもがスポーツを楽しむことができるように知恵や力を貸すことができるサポーターを養成しようとしています。
 福祉というと、多くの人は、福祉施設や社会的な弱者救済のことをまずイメージしてしまいますが、本来の意味は違います。
 「福祉」、この言葉を分析すると、「福」の文字を作る左側は=ネ=示=神様という意味があります。また右側は酒を入れる壺の象形で酒つぼという意味です。そこで、福という文字のもともとの意味は祭りに参加した者が神からもらうお酒という意味で、転じて、神の与える幸いという意味になったわけです。また、「祉」の文字を作る左側は同様に神様という意味で、右側は止=賜で賜りもの、すなわち、神のたまもの(さいわい)という意味です。回りくどいことをいいましたが、つまり福も祉も幸せという意味です。
 他方、英語には福祉という意味をもつ「Welfare」という言葉があります。まさに文字通りに訳すならば「よい暮らし」という意味です。
 福祉の世界では、その原点に立ち返り、困ったときには「いつでも、どこでも、誰でも」、救いの手がさしのべられる社会のしくみ、そして、すべての人が幸福感を感じることができる社会の構築、これこそが重要であるという発想になっているように感じられます。
 そこで、スポーツの登場というわけです。スポーツにはわたしたちの人生を豊かにしてくれる力があります。すなわち、スポーツは、わたしたちが健康や体力を維持・増進させようとするときに役立ちます(身体的効能)。また、ストレスを解消させ、生き甲斐、生活の張りともなります(精神的効能)。さらに、友だちをつくったり、学校や地域、職場、家庭などでコミュニケーションをはかろうとするときなどにも役立ちます(社会的効能)。ということで、このスポーツを利用して、人々の暮らしを豊かにし、住み易い社会をつくっていこうというのが福祉スポーツコースの出発点です。ですから、必ずしも障害を持った人や高齢者のお手伝いに限りません。この福祉スポーツコースでは、年齢や性別、競技力に関わらずすべての人が堂々とスポーツをおこなえるようにサポートができる人材を育成しようとしています。
 もともと東海女子大学はスポーツが盛んな大学なのでこんなコースが開設されることになりました。本学で自分の専門種目を極めたいという一流選手には同時にこのコースで学問的にもスポーツのことを極めてもらいたいと思っています。そして、社会にでてから得意のスポーツを使って社会に貢献できる人材になってもらいたいと思います。また、競技力は高くない、いや、全く運動音痴なんだけど、スポーツのことが大好きで、将来、スポーツに関わりながら仕事がしたい、人の役に立つ仕事がしてみたい、そしてスポーツを通じて豊かな人生を送りたいと思っている人にも入学してもらいたいと思っています。
 詳しいことが知りたい人は→ ここをクリック

 総合福祉学科の一部の在学生にこのコースができることを知らせたところ、皆さん大変残念がっていました。もっとはやく作ってくれていたら、私もそこに進んでいたのに、と。スポーツ好きの福祉学科の学生さん、ごめんね。でも、スポーツの勉強はいくらでもできますので、私でお役に立つことがあれば研究室を尋ねて下さい。私の卒論ゼミの学生さんの中には、高齢者スポーツや障害者スポーツなどを研究テーマに選んでいる人も多いですよ。また、ゼミ生の皆さんには、いよいよ、連休明けから本格的に抄読会が始まります。しっかり勉強しておいて下さいね。
 
 それでは、皆さん、よい連休後半をお過ごし下さい。ごきげんよう!


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4月22日(火) 早大も始まりました
 
 いよいよ早大の保健体育科目も平成15年度の授業が始まりました。
 私は、非常勤講師として早大の保健体育科目の中の、スポーツ実習T(バドミントン)とスポーツ実習U(バドミントン)を担当しています。そこで、G県のH市から週に一日、名鉄竹鼻線とJR新幹線と営団地下鉄東西線を乗り継ぎ、片道3時間ほどかけて、早稲田大学に通っているのです。今年で16年目になります。
 早大の保健体育科目は今年からオープン教育センターの管轄となりました。これまでは体育局の管轄でしたが、スポーツ王国早稲田復活の願いから、この体育局が、競技スポーツセンターに名称変更し、そのための業務に専心するというのです。
 早大生の皆様、保健体育科目の管轄は変わりましたが、その内容はより充実させていきたいと考えています。今年も1年間よろしくお願いいたします。元中日の谷沢健一氏が野球、日本を代表するトッププロである、遠藤愛氏、土橋登志久氏、坂井利郎氏がテニス、元全日本監督の倉石平氏がバスケットボール、ロス、ソウルオリンピック銀メダリストの太田章氏がレスリング、元全日本コーチの葛西順一氏が卓球を担当するなど、他の種目でも多士済々のメンバーが講師としてがんばっていますが、バドミントンを担当する不肖、私、蘭も負けずにがんばります。今年は、ティーチングアシスタントが特に充実しています。3、4限目はインターハイベスト4の実績を持ち、インカレでも活躍中のI君とN君が、5限目は前出のI君とこれまた有名選手のM君が私の両腕となって皆さんの指導をします。期待して下さい。
 片道3時間かけて通っているので、大変ですねとよく言われますが、全然そんなことはないんです。とても楽しく通っています。行きの新幹線では静かに読書ができます。また、授業では後輩諸君と楽しくバドミントンをすることができます。さらに、授業の合い間には早稲田界隈のジョギングを楽しむことができます。そして、授業終了後、シャワーを浴びて、東西線で東京駅へ行き、大丸の地下街、いわゆるデパ地下で新幹線の中で食する夕食を買い込むのです。最近、デパ地下ブームといわれていますが、私は、このブームを先取りし15年以上も前からこれを楽しんでいたのです。寿司、ヒレカツ丼、中華、和食、幕の内、その他一流どころの名店が軒を並べています。そして、これが安くておいしいのです。家人の手作りの料理に勝るとも劣りません(最近家人がこのHPの存在に気づき時々覗いているようなのでこう書いておきます)。特に、時間的にタイミングがよいと生ものなどは、大幅にディスカウントされているときがあります。トロとヒラメのえんがわの握りが千円そこそこで食べられる時もあります。これらのものと一緒にビール、お酒を買い込み新幹線の中で一人静かに反省会をおこなうのです。新幹線も19時前後は乗車客も少なく、1号車などはいつもせいぜい7〜8人の乗客しかいません。前のいすを回転させて、どんと足を投げ出してリラックスすることができます。そして、車窓から外の景色を眺めながら、ビールをぐいっとやったあと、お酒をちびちびやるのです。至福の時間であります。
 
 ともあれ、東海女子大学の授業、早稲田大学の授業共に充実させたいと思いますので、学生の皆さん、一緒にがんばりましょう。
 

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4月15日(火) 結婚披露宴出席報告
 
 先週末、G県の表玄関に位置するH市の新幹線G・H駅から徒歩5分の位置にある会場で開かれた結婚披露宴に出席した。新郎、新婦ともにバドミントンの達人で、したがって、出席者もバドミントン関係者が多数を占めた。
 宴会は、まず、新郎の上司であるG組合企画総務部長と新婦の恩師である元バドミントン世界チャンピオンのA先生のスピーチによりはじまった。A先生はスピーチ中、教え子の晴れ姿に思わず感涙、鬼の目にも涙か。会場はしんみりとした雰囲気に包まれ、厳粛なムードでのスタートとなった。
 その後、新郎側から、県立G商業高校時の先輩で元バドミントン日本代表メンバーのBとかなんとかいうやつや、同じくG商業高校時の先輩でかつG組合で上司にあたるKとかなんとかいうやつや、同じくG商業高校時の先輩で中学教師をやっているOとかなんとかいうやつが祝福のメッセージを送って場を盛り上げた。さらに、新婦側から、新婦の大学時代のチームメイトで、北関東地方で小学校教師をやっているNとか、北陸地方からやってきたOとか、中国地方からやってきたFとか、関西の電機メーカーでがんばっているが全日本チャンピオンになれずにいるSとか、これまた関西地方の電機メーカーでバドミントンをやっているFとか、隣県の愛知と三重からやってきたYとかMとかがお祝いのメッセージを送り、これまた場をもりあげた。
 続いて、岐阜のバドミントン界にあっては超有名人で、全国小学生バドミントン連盟の理事長の肩書きも持つB氏のスピーチがあった。スピーチの最後には、B氏お得意の、おめでとう三唱のパフォーマンスもあり大いに場を盛り上げた。さらに、それに続き、新婦の大学時代の友人である、バレー部OGのAさんとソフトテニス部OGのAさん、Oさん、Tさんとスキー部OGのMさんの5名が、それぞれ学生時代のユニフォームに着替え、モー娘の歌を披露するという離れ業で会場を大いにぎわせた。よくやるよ君たち。
 雛壇の2人めがけてシャトルのノックの嵐などの手荒い祝福や、新郎の妹さんとその友達4人によるクラリネットのパフォーマンスその他、宴は続いたのであった。
 新郎の県立G商業高校時の先輩のT君、そして、同級生のH君やS君にも会えてよかった。新婦の大学時代の後輩で、わたしの教え子のFさんにも会えてよかった。
 しかし体育会系の乗りは本当によい。そして、同じ釜の飯を食べたという表現がしっくりとくるスポーツ仲間は本当によい。わたしはつくづく思いました。
 皆さん、末永いお付き合いにしましょうね。
 その後、場所は2次会へと移っていった。わたしも誘われたが、若い人たちの中へ、こんなおじさんがしゃしゃり出ていくのも何だと思い、お断りをした。しかしながら、T女子大で教師をしているBとかなんとかいうやつが、どうしても、といってくれたので行くことにした。が、一人では場違いと思ったので、6歳と4歳の娘を連れて、3人の平均年齢を17.3歳にして、柳ヶ瀬の、びびだか、ぜぜだか、どどだか、忘れてしまったが、若向きのお店に出かけていった。
 昔懐かしい面々に会えて本当によかった。J銀行勤務のYちゃんにも会えた。川島町に家を新築したばかりのN夫妻と子供のK君にも会えた。もうすぐパパになるM君にも会えた。パパになりたてのT君にも会えた。西濃地方にいるO君にも会えた。紙面に限りがあり、全員のことが書けずに御免。以下省略。
 柳ヶ瀬から新岐阜まで娘2人と夜の街を歩いた。そして、名鉄電車に乗ってH市にある自宅にたどり着いたのが22時を過ぎていた。いつもは21時過ぎには寝ているので、2人は、もう、ふらふらの状態でした。
 翌朝、娘に、昨日は楽しかった、と聞いた。そしたら、2人とも口をそろえて、うん楽しかった、と言っていた。何が一番楽しかった、と聞いたら、チューが一番楽しかった、といっていた。そう言えば、あのとき、2人は両手で目をふさいで、手の隙間から新郎と新婦を見ていた。子供ながらにいろいろなことを考えているのではある。おませな子にならねばよいが・・・・。

 ともあれ、おふたりさん、オーストラリアから帰ってきたら、小宅へ寄って下さい。おいしいビールやお酒やワインを飲みましょう。あ、そう言えば、披露宴ではA先生が赤ワインを飲みたいと言ったので、私がスタッフの人に手を挙げて注文しました。しかしながら、おいていませんと言われたのでカクテルを注文しました。今度機会があったら、A先生に赤ワインを飲ませて差し上げて下さい。
 
 それではお幸せに!!


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4月11日(金) 娘とバドミントン
 
 昨日、娘とバドミントンをした。この春、小学校へ入学したので、そろそろ本格的に教えた方がいいかなと思ってのことである。Hバドミントンクラブが練習しているT小学校の体育館でメンバーが集まる前に1時間30分くらい練習をした。もちろん、本格的といってもほんの羽根突き遊び程度ではあるが。
 実は、私は娘が生まれたそのときからバドミントンをやらせたくて、今日まで計画を練ってきたのである。
 話は変わるが、昨年、わたしは娘にバドミントンを見せるため、ある試合会場へに連れていった。ところが、その試合では、ある女子選手が激戦の後に足をけいれんさせ、苦痛に身をよじるという場面があった。それを見て、娘はバドミントンなんか絶対にしないと叫んだ。そのある選手は、たまたま、わたしの教え子で、わたしは思わず、こんなところで足をつらせるなよ、と心の中で叫びながら彼女の足をマッサージした。そのあと、わたしは娘をなだめすかすのに苦労をした。しかし、娘はある一言でバドミントンをやるといいだした。バドミントンをがんばれば、いろいろなところへ行くことができるよ、北海道にもいけるよ、九州にも行けるよ、四国にも行けるよと、わたしが言ったとき、四国という言葉に反応した。実は、つい最近、保育園の時の大の仲良しのMちゃんが、おとうさんの仕事の都合で四国の高松に引っ越していったのである。だから、バドミントンをやれば、Mちゃんに会えると思っているのである。
 話を元に戻して、昨日はつくづく、スポーツって本当にいいもんだなー、と思った。親子の心が一つになれるのである。昨日は、羽根突き遊びで何回続くか2人でがんばってみた。最初はなかなか続かなかったが、娘が目標100回と言い出した。もちろんわたしは絶対にできっこないと思った。せいぜいできて20回だと思った。が、100回できてしまったのである。で、そのときに娘がわたしの所へ駆けてきて言ったのである。なんだかわからないけど、おなかの下の方からじわじわと何かが上がってきて、何かわからないけど、とってもいい気持ちなの、と。そして、わたしに抱きついたのである。最近、わたしが忘れていた感覚、昔は確かにあった感覚ではなかろうかと思った。

 やっぱりスポーツはいいのである。スポーツにはわたしたちの人生を豊かにしてくれる力があるとつくづく思った。
 

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4月1日(火) 琴塚古墳
 
 今日から4月、新年度の開始である。8月の夏休みが来るまでの4ヶ月間、エンジン全開でがんばらなければならない。
 ということで、本日は、うららかな陽気でもあり、また、桜も満開の様子ということもあって、部屋の中でお弁当を食べていても実につまらないと感じた。そこで、愛妻弁当を持って、大学から徒歩10分の所にある琴塚古墳に行って来ました。
 エンジン全開とはいっても息抜きも大切ですから。(しかし、新年度初日から息抜きとは、先が思いやられるが・・・・) (^^; 

 琴塚古墳は、名鉄美濃町線の琴塚駅から徒歩2分の所にある、岐阜県で3番目に大きな形の整った前方後円墳で、国の指定史跡となっている。全長は115m、後円直径68m、高さ10m、前方部巾72.5m、高さ7.5mで二重の堀を巡らす5世紀後半の遺跡である。
 上空から見た写真がこのサイトにあるので見て下さい。→http://lifelong.lifelong.city.gifu.gifu.jp/ga21user/2055.htm

 また、私もデジカメで撮ってきましたので見て下さい。 →http://www.tokaijoshi-u.ac.jp/~araragi/kotozuka.htm

 当然のことながら、古墳の回りには柵が張り巡らされており、中にはいることはできません。したがって、行ってみても、興味がない人には、なんだこんなとこ、と思われるかもしれません。そのような場合にも、私に恨みを持たないで下さい。悪しからず。

 で、今日は、特別に、卒業生のため、今日の大学の風景ということで、桜満開の東海女子大学の様子をお知らせいたします。
 ここをクリックして下さい。→http://www.tokaijoshi-u.ac.jp/~araragi/daigaku.htm
 
 懐かしんでもらえたでしょうか。それでは、皆さん、ごきげんよう。

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3月26日(水) アキレス腱断裂