2月28日(金) 松竹梅
本当に時がたつのははやいもので、今日で2月も終わりです。東海女子大学の正面玄関前の植え込みも梅が満開となり、とてもよい塩梅(あんばい)になってきました。
ここをクリックしてみて下さい。→http://www.tokaijoshi-u.ac.jp/~araragi/syoutikubai.jpg
ちなみに、塩梅という言葉の語源ですが、昔は今みたいに化学調味料などがありませんでした。そこで、塩や梅(梅酢)が重要な調味料となっていました。で、そのことから料理の味を調えることを「塩梅(えんばい)と言っていたそうです。ところが、物事をほどよく排列する、処理するという意味で「按排(あんばい)」ということばがあります。これとの混同から、塩梅=えんばい=あんばいとなったそうです。
さて、上記の玄関前の植え込みですが、梅の横に松が植えてあり、その根本に竹が植えてあります。つまり、松竹梅ということで縁起を担いでいるのであります。これから、3月20日には卒業式が、4月8日には入学式が本学講堂においておこなわれます。卒業生にも新入生にも心からおめでとうと申し上げます。それぞれにがんばって下さい。
OGの皆さんには植え込みの写真、懐かしんでもらえたでしょうか。いつになく今日はまじめな話でした。それでは皆さんごきげんよう。
目次へ
2月26日(水) 新居
新居といっても私のではない。
北関東にある、隣のI県やT県の住民から、ド田舎と呼ばれているG県に棲息するYさん。
ようやく完成しましたね!
内輪の話で失礼いたしました。YさんとはT女子大学バドミントン部のOGで私の教え子である。学生時代にはインカレのシングルスでベスト8に入ったこともあるバドミントンの達人である。その北関東でド田舎と近隣の県民に呼ばれているG県に棲息しているYさんが、なんと、この日本の中心に位置するG県の、しかも、その玄関口にあたる、新幹線の駅もあるH市の、さらに、小宅から徒歩10分のところに嫁いでくることになったのである。またまた、そのお相手が、なんと、M君なのである。M君は、インカレのダブルスで3位に入賞したこともある、これまたバドミントンの達人なのである。M君は、これ以外にも、現在バドミントンマガジンのコーチ学講座に連載を執筆中のT女子大学で非常勤講師をやっているBとかなんとかというやつと組んで全日本教職員大会のダブルスで優勝したこともある。さらに、昨年のG県民体育大会のバドミントンの部ではAというT女子大学の優秀な助教授と組んでH市を優勝に導いてもいる。で、上記のリンク先にある写真はこの前途ある2人の新居なのである。
私は自転車通勤の時にいつもこの家の前を通行するので、建築の進行状況をこうやってデジカメにとり、T女子大学の社会福祉コースで学んだ後、実家がある北関東でド田舎と近隣の県民に呼ばれているG県に戻り、社会福祉施設に精勤する教え子のYさんに送ってあげているというわけである。
Yさん、招待状どうもありがとう。喜んで出席させてもらいます。4月12日を楽しみにしています。
というわけで、披露宴では、やはり、北関東でド田舎と近隣の県民に呼ばれているG県に棲息するNとか、中国地方のOとかいう昔毛利元就が住んでいたという県に居住する柄の悪いFとか、O府に本社があるS電機という有名な会社のバドミントン部でがんばっているがまだ全日本チャンピオンになれないでいるSとか、その他懐かしい面々に会えることであろう。
M君、Yさん、おめでとう。今年はG県の都市体育大会が8月にH市で開催されます。地元開催なので優勝目指してがんばりましょう。それでは、披露宴にはおいしいビール、お酒、ワイン、その他、たくさん用意しておいて下さい。たぶん柄の悪いFあたりがたくさん飲むのではないかと思われますので。それではまた。
以上、一般には、意味不明の記述を失礼いたしました。しかしながら、ご関係の各位におかれましては、十二分に堪能いただけたものと確信いたしております。心からご関係各位のご多幸をお祈り申し上げます。m(__)m
目次へ
2月24日(月)飲酒練習
大学2年生の時、所属していたバドミントン部にどうしても勝てない先輩がいた。今から考えると実力差はそれほどなかったんじゃないかと思う。なぜならば、部内外を問わずに、その先輩が負ける相手に私が勝つなんてこともしょっちゅうあったからである。でも、とにかくその人には勝てなかった。いいところまでいくんだけども負ける。例えば、15点のゲームで、10対2でリードしていても、終わってみれば15対10で負けているとか。あと1点で勝てる、つまりマッチポイントを握っていて逆転負けを食らうとか。とにかく勝てないのである。で、そのときの私の心理、つまり、10対2でリードしているときの心理であるが、「今日は先輩の調子が悪いのかな、それとも、今は手を抜いていて、あとで本気を出すのかな」などと考え、負ける場面をイメージしてしまうのである。マッチポイントを握っているときも、「ここで逆転されたらどうしよう、せっかくのチャンスがもったいない。こんなチャンスはもう2度とこないかもしれない」などと考え、かたまってしまうのである。
今から考えると、とにかくネガティブなのである。そこで、あまりにも勝てなかったので、自分なりに、冷静に敗因を分析した。そして、結論を出した。自分の弱気のせいであると。ではどうしたらよいか。強気になればよいのである。ではどうしたら強気になれるか。・・・・・・・・・。考えが浮かばない。そこで、おもむろに冷蔵庫を開けた。そうしたら、キリンラガービールが1本入っていた。そこで、さっそく、キリンラガービールの栓をシュポと抜いてコップに注いだ。そしてそれを飲みながら思案を続けた。するとだんだんいい気分になってきた。気が大きくなってきた。そして、よいアイデアが浮かんだ。よしこれだと思った。人はアルコールが入れば気が大きくなる、ということは強気になれるということだ。じゃあ、アルコールを入れて試合に臨めばいいんだと。
早速、翌日、このアイデアを実行に移した。まず、自転車で練習に向かう途中、自販機で350mlの缶ビールを購入し、キャリーバックに入れた。そして、練習に参加。素知らぬ顔でウオーミングアップを済ませる。そして、基本練習その他一式のことを終えた。そこでいよいよゲーム練習開始。運良くその日は例の先輩との対戦が組まれ、一人ほくそ笑む。で、その対戦の直前にトイレに駆け込む。もちろんキャリーバックの中に入れた缶ビールをタオルに包み小脇に抱えて。そして、トイレの中で缶ビールの栓を抜き、ぐいっと一気にそれを飲み干す。うまいっ。で、そしらぬ顔をしてコートへ。握手をするときに、「おまえ酒臭いな」「はい、きのう飲みすぎまして、どうも」。で、試合開始。ちょうどアルコールも回ってきていい気分。プレーも絶好調ですべてOK。あれよあれよというまに点を重ね、10対4でリード。と、ここまではよかった。ところがである、そのころから目が回りだし、頭がくらくらしてきた。そして、シャトルが2つ、3つ、4つにも見えてきた。心臓もばくばくしてきた。あとは推してしるべし。終わってみれば15対10での敗戦であった。ゲボッ。失礼。
若気の至りである。今考えると空恐ろしい。あのときに運が悪かったならば、惜しい人材が失われていたかもしれない。これを読まれた大学生シャトラーの皆様。危険ですので、よい子は決してまねをしないでください。
しかしながら、そんなことがあってから、その先輩に対する苦手意識はなくなった。なぜかはわからないが、勝てるようにはなった。
気持ち、気持ち、気持ちの問題。
飲んだらやるな、飲むならやろう、バドミントン。
2月21日(金) 梅が見頃です
本日、自転車通勤の途中寄り道し、梅林公園の梅を観賞しました。そこで、百聞は一見にしかずということで写真を撮ってきました。ご観賞、というほどのものではありませんが、どうぞ、ここをクリックしてください。
今度の土日あたりは大勢の鑑賞客でにぎわいそうです。豆腐田楽を食べながらビールを、こお、きゅ〜〜〜〜と、やりたいところですね。もし寒かった場合には、熱燗のコップ酒でも、きゅ〜〜〜〜と、やりたいところですね。ちなみに飲酒運転は厳禁です。公共交通機関をご利用下さい。
東海女子大学の学生の皆さんには、勉強に疲れたら、部活動に疲れたら、そして、バイトに、恋に、その他何でもいいや、疲れている人は、梅林公園に足を運んで癒してみて下さい。場所は岐阜市梅林4、大学からだと、自転車で約10分、徒歩で約30分、ジョギングで15分、名鉄美濃町線梅林駅下車徒歩3分です。
梅林公園についての詳しい情報はこちらへどうぞ→http://www.gcci.or.jp/kankou/bairin/
うめ〜は〜、さいいたか〜、さく〜ら〜は、まだかいな、ということで、ついちょっと前に、百々が峰山頂で初日の出を拝んだと思ったら、もうすぐ新学期。
これからは、平成15年度モードに頭を切り換えて、こんなくだらないことばかりしていないで、来年度の授業の準備を始めよう、論文もちゃんと書きはじめることにしよう。
目次へ
2月20日(木) バックハンドストローク
バドミントンの基本的な技術の一つにバックハンドストロークというものがある。右利きの人であったならば、主に自分の身体の左側に飛んできたシャトルを打ち返すときに使うストロークである。このときのバックハンドとは手の甲のことを意味し、したがって、手の甲をまず相手に向けてラケットを振り出す、と、ま、そんなようなストロークのことである。
最近のジュニアの選手は何の苦もなく上手にこれが使える。さらに、ハイバックといって、頭よりも高い位置でバックハンドストロークを使ってシャトルをヒットする高等技術があるが、これなども朝飯前とばかりに使える選手も多い。で、ここで、最近のジュニアはといっているのは、最近じゃない、すなわち昔のジュニアにとってはこの技術を習得するのが難しかったということをいわんがためである。そう、ジュニアの時はこれが難しかった(私だけが思っているのかもしれないが)。特にハイバックなどを使えるジュニアはほとんどいなかったのではなかろうか。いや、むしろ、昔は、ジュニアはハイバックを使ってはいけないといわれていたほどである。しっかり回り込んでフォアハンドで打ちなさいと教えられていた。隠れて練習したりしているとしかられるということもあったんじゃなかろうか(私はしかられた覚えはないが)。なぜ、昔のジュニアにはこれが難しかったか、この答えは昔のラケットがとても重かったからである。今のラケットは90g位の重量だが、昔はそれが130gくらいあったのである。だから、力がないと振れなかったのである。
さて、本題に入ろう。わたしは、大学3、4年生の時に、1学年下の後輩(仮にK君としておく)とダブルスのペアを組んでいた(とりあえず部内ではトップダブルスであったが)。このK君はサウスポーであったが、とてもバックハンドが下手であった。というよりは使えなかった。だから、本来バックハンドを使って打たなければならないようなところにきたシャトルに対してもフォアハンドストロークを使って打っていた。打ち方としては、ソフトテニスのボレーをイメージしてもらえばよかろう。
ある試合のとき、K君がコートの右サイド、そして私が左サイドのサイドバイサイドフォーメーションをとっていた。そして、その状態でドライブ合戦となった。当然相手はK君のバックハンド狙う。K君がそれに対応するには、K君自身がコートの右側へ移動しなければならない。K君は1打ごとに少しずつ右側に移動してゆき、気がつけば片足がコートの外にでていた。相撲ならば寄り切りで負けである。しかし、それでも白熱したラリーは続いた。さらに相手が右側を狙ったとき、明らかにアウトとわかる球を打った。わたしは大声でアウトと叫んだ。K君はそれに反応し、身をよけた。それで、シャトルはコートの外遠くへ飛んでいく、はずであった。が、コツンという音がした。よく見るとシャトルはK君の頭に当たって、彼の足下に、落ちた。K君の両足が完全にコートの外にでていたのにも関わらずである。わたしは、バドミントンを30数年間やっているがこのような経験は、これ以前にも、これ以後にも、ない。
その翌年、私とペアを組んだK君はインカレのダブルスで見事ベスト8に入賞した。この結果が、その後のK君の血のにじむような努力によるものなのか、あるいは、単にパートナーに恵まれただけのことなのかは、定かではない。
ね、常総学院高等学校バドミントン部監督の木内先生、また、昔話を肴に、一杯やりたいよネ。奥さんにもよろしく。
努力に勝る天才はなし、これを今日の教訓としよう。
目次へ
2月18日(火) 「自分」という1人称表現
英語での1人称表現(例えば「私は・・・・・です。」と表現しようとしたときに、私は、という言葉を表現する単語)は、I(アイ)以外に考えられない。しかしながら、日本語では、私(わたし)、私(わたくし)、私(あたし)、僕、俺、小生、儂(わし)、自分、うち、その他色々な表現が考えられる。私はこのなかで1人称表現として「自分」という言葉使うことについて、かねてより違和感を持っている。大学の運動部員の中には、男女を問わず、意識的か無意識的かはわからないが、この言葉を好んで使うものがいる。
「自分は・・・・です。」と使う場合の「自分」という言葉は明らかに軍隊用語である。旧日本軍では一人称の使い方をそのように定め徹底していたようである。したがって、旧日本軍で自分のことを、私とか僕とかいおうものなら、上官に「貴様はまだ地方にいるつもりか」などと、厳しくとがめられたそうだ(ちなみに、旧日本軍では軍隊以外の場所のことを「地方」と呼んでいたそうである)。この表現のしかたは、どうも山口県地方の方言らしい。明治時代、西欧の列強に倣い、富国強兵の思想のもとに近代軍隊を組織していったが、その中心には長州藩出身者が多くを占め、したがって、この地方の方言が軍隊においてのスタンダードになったというわけである。そして、軍隊でのスタンダードが、先の戦時期に、体育系大学や右翼系大学の運動部に浸透していき、その後全国の大学運動部にひろがっていったものと考えられる。
他人様が自分の1人称表現をどのように使おうとも、関与すべきことではない。しかしながら、ある表現に対して、世間には違和感・嫌悪感を示す人もいる、ということも事実である。その意味を知って使うならば問題ないと考えられるが、そうでないとしたら困ったことになる場合もある。まずは知ることが肝要かと思われる。自分が教える学生が、そのことによって不利益を被ることはさけなければならない。
むか〜し、20数年前に、私などが学生の頃にはこの表現を評して、礼儀正しくてなかなかよろしいとおっしゃる年輩の方もおられたが、就職活動などでは、もちろん使ってはならないと指導されていた。東海女子大学の就職部の先生のお考えはいかがであろうか。
言葉というものはその意味をよく知って使った方が良さそうである。
目次へ
2月17日(月) 自転車走行中の迷惑
今日、自転車で登校してきた。で、特に今日が特別というわけではないが、高校生の並列自転車走行にはいつも迷惑を被る。すなわち、歩道を走行中、正面から数台の自転車が横並びでこちらに向かってくる場合である。おおかたの場合は寸前のところで気がつき、一列縦隊となり横をすれ違うのであるがそうでない場合もある。おしゃべりや携帯電話に夢中で前を見ていない場合などは、こちらが自転車を降りて止まって待っているところに飛び込んでくることもある。右側がガードレールで左側が壁などといった場合にはよけるにもよけられず、大声を出して「とまれ」と叫ぶしか手だてがないといったこともある。「おまえら何を考えとるんじゃ」と叫びたくもなるが、そこは、良家に育った性なる故、「これからは気を付けなくてはいけないよ」などと優しく諭し過ぎ去るのである。
が、しかし、今日はさすがにびっくりした。通勤中、上述のごとく前方に3台の並列走行中の自転車を発見した。制服を着た女子高校生3名、一人は赤髪でくわえたばこをふかしながら携帯の操作中、そして後の二人も茶髪厚化粧のコンビで携帯に夢中でこちらを見てはいない。思わず危険を感じて、「こら、危ないぞ」と、心ならずも叫んだ。そうしたところ、そのお嬢様たちが宣うた、「ぼけ、そっちの方が気をつけろよ」と。
いやいや、制服から〇〇高校の生徒であるとはわかったが。いやいや、親の顔が見てみたい、といったらその親御サンにはかわいそうであるかな。この不況の中、娘のために身を粉にして働いておられることだろうから(ま、必ずしもそうとは限らないが)。「このバカ娘ども、親の苦労を考えてまっとうに生きろ」といいたいところであるが、そこはそれ、良家に育った性なる故に、いえないところが残念ではある。
@ 今日の経験、子供を持つ父親のひとりとして、忘れまじ。
目次
2月14日(金) サッカーとフットボール
日本では11人対11人でボールを蹴り合いながらゴールを目指すゲームのことをサッカーと呼んでいる。しかしながら、この競技のことをそのように呼ぶ国は、世界的に見れば、日本、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアなどごく少数のようである。もっとも、イタリアではカルチョと呼ばれているが、世界的には、一般に、この競技のことをフットボールと呼んでいる。もちろん、これは略語で、正式にはアソシエーションフットボール(Association
Football)である。
さて、フットボールの歴史であるが、英国で古くからおこなわれていた、大人数が2つのチームに分かれてボールを奪い合う、あるいはゴールに運び合う、マスフットボールという遊技が進化したものと考えられている。これが19世紀に入り、とみに競技性を帯び、より高度化したローカルルールが作られていった。しかしながら、ローカルルールでは皆が一緒にプレーできないということで、ルールを統一するために、1863年に協会がつくられた。その協会がThe Football Associationで、そこで作られた統一ルールをもとにおこなわれる競技が、Association Football=Soccerということになったのである。なお、1863年に協会がつくられたとき、この協会に参加したクラブには大きく2つのグループがあった。それまでにそれぞれのクラブが決めていたルールの違いによる派閥である。1つの派閥はボールを手で持つことを禁止し、蹴ることを中心とするルールを支持するグループで、もう一方は、ボールを手でもって走ることを認めるルールを支持するグループであった。この協会では前者が多数派で、統一ルールもそうなった。そこで、少数派のクラブの人々はこの協会から離脱し、1871年にThe Rugby Football Unionという協会をつくって、新たなルールのもとに違うフットボールをおこなうようになったのである。これが、現在のRugby Football(ラグビーフットボール)と呼ばれる競技である。
さて、はじめに戻るが、このサッカー(Soccer)という言葉は造語で、19世紀の後半頃に英国のパブリックスクールの学生がつくったといわれている。すなわち、Rugby Footballをやる人のことをRugger(ラガー)と呼び、Association Footballをやる人のことをAssoccer(アソッカー)と呼んだのである。ラガーという言葉は今まで生き残り、アソッカーという言葉は使われなくなると同時に、soccer(ソッカー)という部分が独立し、いつしかアソシエーションフットボール自体を表す言葉となったわけである。
ちなみに、英国でサッカーとこの競技のことを呼ぶと、「ウー.アメリカン」とばかにされることがある。英国人は、この競技の名称はあくまでもフットボールで、その母国が英国であることに誇りを感じているようである。そして、これをサッカーと呼ぶアメリカ人は、フットボールを参考にしてつくったアメリカンフットボールのことをフットボールだと主張しているけしからんやつだと思っているようである。さらに、発音自体も、英国英語ではソッカーと発音するのに対し、米国英語のサッカーとはいかにも田舎臭いと思っているのかもしれない。日本ではサッカーという呼び名が一般的であるというと、日本はアメリカの植民地かと聞き返してくる失礼な英国紳士もいたりする。ちなみに、慶応大学にも1927年創部のいわゆるサッカー部があるが、正式名称は「体育会ソッカー部」である。また、早稲田大学にも1924年創部のいわゆるサッカー部があるが、正式名称は「体育局ア式蹴球部」である。
ともあれ色々なスポーツのことについて知ることは楽しい。これからも勉強するようにしよう。
目次
2月12日(水) Baseballと野球
2月10日(月)のカタカナ英語のところでも述べたが、英国や米国から入ってきたスポーツのルールにはカタカナ英語が多く使われている。名称そのものもカタカナ英語が多いが、その中にあって、野球は漢字表記でがんばっている。
野球は明治5,6年頃に日本に伝わったと考えられているが、その当時はカタカナ英語でベースボール、または、ベースと呼ばれていたようである。また、その他、文字通りに塁球、あるいはベースという言葉が三角形の底辺を表すことから、底球と呼ばれていたという記録もある。しかしながらそれらの訳語がベースボールをうまく表現していないということから、明治27年秋、第一高等学校ベースボール倶楽部に所属していた、マネージャーの中馬庚(ちゅうまん・かのえ)が、Ball in the field ― 野球という言葉を考え出したといわれている。広い所(野)でやる球技という発想であるが、これに他の選手たちも賛同し、翌28年2月に「一高野球部史」が刊行された。そしてこれにより「野球」という言葉が日本語として定着していったようである。ただし、中馬がこの語を考え出す以前にも、第一高等学校ベースボール倶楽部で中馬の三年先輩に当たる詩人の正岡子規が、自分の本名の升(のぼる)をもじって、野球(の・ぼうる)という雅号を使っていたらしい。したがって、中馬はそれを参考にした可能性もある。その後、一方の子規は、死球・四球・直球・飛球・打者・走者などの訳語を生み出していった。
ちなみに中馬は野球という言葉と同時にテニスの訳語についても考案している。野球と同じく、明治27年の秋に「庭球」という言葉を一高交友会雑誌に提案し、それにより、その後この言葉が定着したようである。野でやる球技が野球(ベースボール)で、庭でやる球技が庭球(テニス)というわけである。野球と庭球という言葉はセットで生まれたというところか。いずれにしてもおもしろいと同時に知恵を絞ったなという感じがする。以下にその他の競技についても、明治の人が、安易にカタカナ英語にせずに知恵を絞った結果を示す。ちなみに、排球(バレ−ボール)の排(はい)は排出の排で、外へ押し出す。すなわちオーバーハンドパスをイメージするとよかろう。
@明治の人に倣って、これからは色々なところで知恵を絞る習慣をつけよう。
Baseball |
野球(ヤキュウ) |
Football(Soccer) |
ア式蹴球(アシキシュウキュウ) |
Rugby |
ラ式蹴球(ラシキシュウキュウ) |
American Football |
米式蹴球(ベイシキシュウキュウ) |
Basketball |
籠球(ロウキュウ) |
Volleyball |
排球(ハイキュウ) |
Tennis |
庭球(テイキュウ) |
Badminton |
羽球(ウキュウ) |
Table tennis |
卓球(タッキュウ) |
Golf |
打球(ダキュウ),孔球(コウキュ)j |
Hockey |
杖球(ジョウキュウ) |
Handball |
送球(ソウキュウ) |
Wight lifting |
重量挙げ(ジュウリョウアゲ) |
Boxing |
拳闘(ケントウ) |
Boat |
漕艇(ソウテイ) |
Water Polo |
水球(スイキュウ) |
Archery |
洋弓(ヨウキュウ) |
Athletics |
陸上競技(リクジョウキョウギ) |
Swimin |
水上競技(スイジョウキョウギ)水泳 |
2月10日(月) カタカナ英語
パソコンをいじっていると、カタカナ英語の多さにびっくりさせられる。パソコン用語のほとんど全ては英語のよみをそのままカタカナにした言葉であるといっても間違いではあるまい。例えば、インターネット、メール、ログ、コンテンツ、エンコード、ウェブ、フォルダー、ファイル、ツール、その他多数、数え上げたらきりがない。
英国や米国生まれのスポーツのルールの場合も同様である。例えば英国生まれのバドミントンの場合、試合開始に際しては、「オンマイライト ]さん、A(チーム名)、オンマイレフト Yさん、B(チーム名)、Xさん トゥサーブ、ラブオール、プレー」。試合中でも、「サービス オーバー」、「セカンド サーバー」「フォルト」その他多数。試合終了に際しては、「マッチ ワンバイ[プレーヤー名(チーム名)] [スコア]」。延長戦に際しても、「アーユーセティング」と聞く。日本語はほとんどでてこない。また、単数形と複数形、時制等も忠実に英語に従わなければならない。例えば、1ゲームと2ゲームの間でエンドを替える、つまり、ネットを境にした場所を交代するときもチェンジエンズと複数形でコールしないと審判試験などの時には重大な間違いと指摘される。
上述に関連して、ローカルな試合では敗者審判という制度がある。これは試合に負けたものがそのコートの次の試合の審判をするというものである。ローカルな試合なので審判用語をよく知らない人も多く、このときにそのような人がその役につくと、ほとんどコールなしで試合を進行せざるを得ないといったこともおこる。審判用語が日本語でもっと簡単だったらなと思うことがしばしばである。あるローカルな試合にでたときに、やはり審判用語をよく知らないという方が敗者審判となった。一見して、ご年輩の初心者と思われる女性であった。そのとき、その方は試合開始にあたり、「審判用語を詳しく知らないので自分流でやらせてもらってよいですか?」と聞いてきた。「もちろんですよ」と対戦する両者は答えた。そうしたら「それではこれから試合を開始いたします。私の右側にいる方が蘭さんです。左側にいる方が**さんです。サーバーが蘭さんでレシーバーが**さんです。それではサーブを打って下さい。どうぞ。」とコールをした。私はうーんとうなった。これでいいじゃないかと思った。試合中も得点を伝えるときには「ゴ対サン」とか、「サーブを交代して下さい」とか、日本語で上手に進行して下さった。試合をやっていてとても気分が良かった。
英語を和訳するのはとても難しい作業で、今日のように洪水のごとく英語が日本に流れ込んでくる状況では、パソコン関連の現状も致し方ないかとも思う。しかしながら、スポーツの現場では、何とかならないものであろうか。いつでもどこでもだれでもがバドミントンを楽しむためには、一考の余地があるとは思いませんかね。ローカル大会用の審判用語、ちょっと頭をひねるだけで簡単に作れるような気もしますが。
これからはもっと日本語を大切にしよう
目次
2月7日(金) 自転車通通勤
最近自転車通勤をしている。片道約20kmの道のりをマウンテンバイクを駆って所要約1時間。この年になると、この程度の運動ではあるが、健康のために非常によいと思われる。
なにしろ、自転車通勤をした日はお昼のお弁当が本当においしい。また、夕食が本当においしい。何を食べても本当においしく頂ける(と家人に言ったら、まずいものでも自転車がおいしくしてくれるという意味ですかと、つむじを曲げられてしまったが)。それから、ぐっすりと眠ることができる。夜、床についたらあっという間に朝がくる。そして、寝覚めが爽快である。健康のすばらしさを実感できる瞬間である。健康を支える3本柱は、栄養、運動、休養であるといわれているが、運動をすることによって栄養と休養も付随してくるのではなかろうか、とさえ思ったりもする。
さらに、自転車通勤には家計を助ける作用がある。なにしろ、ガソリン代がかからない。1ヶ月あたり1万円は浮いていると思う。また、ウエストが締まり、10年前のスーツを着ることができるようになった。したがって、これから先、スーツを買う必要がなくなると思われ、家計に優しい。
自転車は排気ガスを出すこともなく、環境にも優しいと思われる。ただし、世の中、一方的に全てよいものなどなく、自転車にも欠点はある。ただ一つではあるが、自転車で帰宅するとビールが本当においしい。自宅まであと10分というところまでくると、決まって全力疾走をするからよくない。また、わざと坂がある路などを選んで駆け登るので本当によくない。ビール大瓶1本ぐらい、ほとんど一気飲み状態となる。また、その後、日本酒、焼酎、スコッチ、バーボン、トリス、ワイン、ブランデー、老酒、マオタイ酒、ウォッカ、ジン、テキーラ、泡盛、どぶろく、たまご酒等、何を飲んでも本当においしい。で、これは肝臓に優しくない。経済的にも、浮いたガソリン代がアルコールに変わっただけで、家計にも優しくない。
健康と家計のために自転車の乗りすぎとお酒の飲み過ぎには注意をしよう。
目次
2月6日(木) 白羽の矢
ある情報誌を読んでいた。そうしたところ、おもしろい文面を見つけた。それは、編集後記のところに書いてあったのだが、このような内容であった。「今月のインタビューは、これこれしかじかのご経歴をもたれる○○氏に白羽の矢を向けておこないました。さすがに教養あふれる○○氏、こちらの心も豊かになりました。
だけどもこの文は少しおかしい。何がおかしいかというと、白羽の矢は向けるものではなく、立てるものだからである。この言葉は、昔、神が人身御供(ひとみごくう)を求めるときに、これはと思う少女の家の屋根に白い矢羽を立てたという言い伝えから生まれた言葉で、多くの人の中から、犠牲になるものを選ぶというのがその本来の意味である。
いやいや、気を付けなければいけない。他人事ではない。どこで誰に自分が書いた文章を笑われているかわからないからである。しかしながら、白羽の矢を向けられた前出教養人の心境やいかに。お気の毒に。
もって他山の石としよう。
目次