2月17日(水) たのしいさんすう

 つい最近,小学校1年生の娘にとても不得意で嫌いな科目があることを知った。それは算数である。

 それを知るきっかけとなったのは,授業参観であった。1ヶ月ほど前,娘が通う小学校で一日参観日というのが開催された。これは,学校を一日,登校から下校までの間,保護者に開放し,どの時間に見学してもよいという参観日である。

 私も,話の種にということで,ふらりと覗きに行ってみた。そうしたところ,たまたま算数の時間であった。その授業では先生が色々な問題を出し,それに対して児童が手を挙げて回答するというものだった。さすがに小学生ということでみんな元気がよく,一問ごとに大きな声で「ハイ!」と大きな声が教室中にこだまして,うるさいくらいであった。

 が,よく見ると,娘の手がいっこうに挙がっていない。次の問題でも挙がらない。またまた次でも。ふむふむ,これは父親,つまり私が来ているから,恥ずかしがって手を挙げていないのだな,しょうがないやつだ,と考えていた。そうしていたところ,次の問題では,先生の問いに対して,グループごとに答えるということになった。つまり,グループ全員の手が挙がった時点で先生に当ててもらったグループが声をそろえて回答するというやりかたである。

 で,早速,先生が問題を出したところ,例の調子でうるさいほどの「はい」の声があがり,最初のグループが回答した。次の問題にも最初に全員が手を挙げたグループが回答した。しかし,娘のグループはいつになっても回答できない。なぜかというと娘が手を挙げないからである。わたしは,そんなに恥ずかしがってどうする,みんなに迷惑をかけるぞ,と内心思った。

 が,次の瞬間に自分の勘違いに気づいた。それは,隣の男の子が娘の手をつかみ無理矢理挙げさせようとしたけど,どうしてもあげなかったときであった。隣の男の子は,娘のせいで自分たちのグループだけ回答できないことに腹を立て娘の耳元でつぶやいた。「おまえこんなのもわからないのか,ばーか」と。すると娘は大きな声を上げ,大粒の涙をぽろぽろ流しながら,泣き出してしまった。先生は違うグループの所へいっていたので,何が起こったのか一瞬わからず。授業はしばらく中断。その後,先生がやっとの思いで事の成り行きを回りの子たちから聞き出し,先生に促されて隣の男の子が謝った。そして,一件落着と相成ったところで授業終了のチャイム。あとは三々五々ということで,私も小学校をあとにした次第。

 関係各位には大変ご迷惑をおかけいたしましたm(__)m。また,隣のI君にも,ごめんね。君が悪いのではありません。あれだけ頑固に手を挙げなければ怒るのは当然です。

 ということで,家に帰って家人に聞いたところによると,やっぱり娘は算数が苦手で嫌いだということであった。国語は大好きでよく本も読んでいるということであったが・・・。
 手を挙げなかったのは,決して恥ずかしがってということではなかったのだ。むしろ,本当は手を挙げたくて挙げたくてしょうがなかったのだ。けど,自信がなかったのである。

 私がもっと勉強を見てあげていればよかったのである。

 私はこれまで,子供は元気で明るく伸び伸びと育てばいいので,勉強は,まあそこそこ,やっていればよいと考えていたのである。が,参観日の様子を見ていた限りにおいては,そう能天気なことも言ってはいられないと感じた次第。ここは一番父親の出番である。ということで,早速本屋に行って参考書と問題集を買ってきて,夜,私の机で算数を一緒にやっている次第。娘は私の机で勉強ができるということで大喜び。妹と弟は羨ましそうに羨望の眼。

 で,娘に算数を教えていて,あることに気づいた。娘は数字を絵や文字として脳の視覚野や言語野で認識し,それだけで終わっているのではないかと。計算を司るところに情報を回していないのではないかと。今は100までの数,ということで足し算や引き算を中心にやっているが,計算が遅い。指を使うとできるが,暗算ができない。図形の問題もあるが,これは得意ですいすい解く。ということで,やっぱり計算を司る脳の左右両側半球の前頭前野、頭頂葉を活性化させなければならない。これにはドリルしかない。繰り返し繰り返し,反復するしかない。しかもできるだけはやく。スポーツのトレーニングと同じである。

 で,最近やっと人並みに計算ができるようになってきた(ように思える)。

 が,おもしろいこともある。90+10,これをノートに書くと,娘は=100と書く。しかし,きゅうじゅうたすじゅうは(90+10=),と声に出して尋ねると,決まって,きゅうじゅうきゅう(99)と答える。やっぱり,言語野の影響を強く受けているのである。これもドリルつまり反復練習しかない。
 努力の甲斐あってか,やっと,きゅうじゅうたすじゅうはひゃく(90+10=100)と答えることができるようになった。が,まだ問題があった。きゅうじゅうえんたすじゅうえんは(90円+10円=)と尋ねると,目が点になって固まってしまうのである。やっぱり言語野の呪縛から抜け出せないのか???これもトレーニングしかない。ということで,財布から小銭を出しながらお店やさんごっこをやっている次第。
 最近財布の中身が小銭ばかりになってきた,といってもこれは娘の算数の影響というよりは,景気のせいである今日この頃。

 ということで,昨日,小学校2年生の参考書と問題集を買ってきました。2年生に上がるまでに,全ての問題を解いておこう,ということになりました。
 別に,教育パパをやっているわけではありません。娘が算数が楽しい,もっとやりたい,と言い始めたからです。
 ですから,毎朝,学校に行くときには,帰ったら一緒に算数しようね,と言って出かけるようになりました。
 めでたし,めでたし。

 以上,全くもって,親バカはなしでありました。じゃんじゃん。



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2月12日(木) 梅もちらほら咲いてきました

 昨日,NHKのおはよう東海,という番組を見ていたところ,梅林公園の梅がほころび始めました,てなことをアナウンサーが言っていました。

 そこで本日,例によって自転車通勤の途中で寄り道をして,梅の様子を観察して参りました。
 全体的には,まだまだ,といった感じですが,品種によっては,例えば下の写真に見られる,寒衣という種類の梅なんかは,ちらほらといった様子で目を楽しませてくれました。

 昨年もこのサイトで梅林公園の梅を取り上げましたが,季節の移り変わりを感じます。

 私なんかは,毎年この梅を見る度に,この言葉,つまり,「冬来たりなば春遠からじ」,という言葉を思い出します。
 これは,今は鬼籍に入っておられる東海女子大学の初代理事長,神谷一三先生が好まれたことばです。
 昔,昔,私などが現役の選手としてガンガンバドミントンの練習をやっているときなどには,神谷一三先生から,励ましの意味を込めてこの言葉をよく投げかけられたものでありました。
 どんなに厳しい冬でも,必ず春はやってくる。どんなに厳しい状態に追い込まれても,必ず転機はやってくる,という意味であったと思います。

 ちなみに,神谷一三先生は昭和48年4月〜平成6年3月まで,21年間にもわたって,岐阜県バドミントン協会の会長を務められ,名実ともに岐阜県のバドミントン界そして東海女子大学バドミントン部の礎を築かれた人であります。



 梅林公園には下の写真に見られるデコイチ(D51)蒸気機関車も展示されています。
 柵で回りを囲まれていますが,毎日8:30〜16:30の間は中に入って手で触れることができます。

 私も小さいときに蒸気機関車に乗ったことがあります。
 確か幼稚園の頃だったと思います。
 もちろん,公園においてある蒸気機関車ではありません。
 ちゃんと時刻表にしたがって線路を走っているやつです。
 木でできた床の感触,硬くて座り心地はあまりよくなかったけれど何となく暖かみがある客席の感触,油臭い独特の臭いが,昨日のことのように思い出されます(年を取った証拠か)。

 卒業生の皆様には,大学正面玄関前の梅が満開になったら,報告しますね!

 それでは,今日はこの辺で,さようなら。

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2月6日(金) 第8代ボーフォート公爵

 下の絵の人は第8代ボーフォート公爵である。
 言わずと知れた,あのバドミントン発祥に関わったとされる人物である。
 そして,あのバドミントンハウスの当主を,1853年〜1899年の間,務めた貴族なのである。

 敬意を込めて正しく綴るならば,
 His Grace, Charles Henry Fitzroy Somerset, eighth Duke of Beaufort である。
 やたらと長ったらしい。

 サマーセット(Somerset)が姓である。ボーフォート(Beaufort)が爵名である
 ちなみに,ボーフォートという爵名はフランスのシャンパーニュにあるボーフォート城から採ったものらしい。
 だから,綴りも読み方もフランス語っぽい
 ワインのボジョレー・ヌーボー(Beaujolais Nouveau)のボジョレーに何となく似ている。

 さて,この人が生まれたのは1824年2月1日で,没したのは1899年4月30日である。

 この人が生まれた年,つまり1824年の日本であるが,文政7年である。イギリス船員が薩摩の宝島に上陸して、牛を奪う事件が起きた。このように相次ぐ外国船の来航にたいして、翌年、幕府は異国船無二念打払令(いこくせんむにねんうちはらいれい)を出している。その前年にはドイツ人シーボルトがオランダ商館の医者として長崎出島に着任している。

 一方,この人が没した年,つまり1899年であるが,北京で義和団の乱が起こった年である。
 そして,不思議なことに,この人は勝海舟(1823-1899)とほぼ同時代を生きている。

Baily's Monthly Magazine of Sports and Pastime 1860より

 英国には現在でも貴族制度が厳存している。
 議会も2院制で上院と下院に分かれているが,上院(House of Lords)は貴族からの議員で構成されている。
 英国には色々な貴族がいるが,この公爵というのがもっとも位が高い。
 さらに,このボーフォート公家はその中でも第5位の家系である。
 したがって,叙爵年も1682年とかなり古い。
 英国の貴族はだいたい1200家ある。
 その中で公爵家は26家である。
 このことを考えると,ボーフォート公家はとても格式が高いのである。

 これで今日の話題提供は終わりです。

 しかし,この,徒然なるままに,もちょうど今日で1周年を迎えました。
 よく続いたなと思っています。
 時々激励のメールや励ましのお言葉等も頂戴いたしております。
 どうもありがとうございます。
 この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 それではさようなら。(^-^)/~~~

 
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1月30日(金) バトルドーアンドシャトルコック

 1月は,センター試験やら定期試験やらで(と言っては学生諸君に大変失礼であるが),とても慌ただしかった。が,先ほど,採点等の業務を全て終え,事務局に成績表を提出してきた。ということで,お昼休み,愛妻弁当を食べながらほっと一息ついているところである(この文章は弁当を食べながら打っているのであるが)。
 そこで,話題をひとつ提供。



 上の絵は「The Graphic」誌の1871年5月13日号に掲載されたプリントである。これはロンドンのアンティークマーケットで購入したものであるが,3人のご婦人がやっているのはバトルドーアンドシャトルコック(Battledore and Shuttlecock)という英国に昔から伝わる羽根突き遊びなのである。 手に持っている打具がバトルドーと呼ばれるもので,それでもってシャトルコックを打ち合っているのである。もちろん,この遊びがバドミントン競技のルーツなのである。

 ちなみに,「battledore」とい言葉は洗濯物を叩いて洗うときに使う棒という意味の,「batyldore」という言葉を起源とする(この言葉は15世紀頃使われていたらしい)。
 さらにちなみに,「Batyl」という言葉は「bat」の反復型で,野球などで使うあのバットのことを表す。doreはマグソコガネという馬や牛の糞に群がる虫のことで,暗に衣服の汚れを意味している。であるから,Batyldoreというのは,衣服に付いた汚れを叩き落とすバット,という意味なのである。

 したがって,元々,バトルドーアンドシャトルコック遊びで使われていた打具は,日本の羽根突き遊びで使われるような木ぎれであった。
 下の絵は農民が仕事の合間にバトルドーアンドシャトルコック遊びをしている様子を示した絵で14世紀のものである。この絵は大英博物館が所蔵しているもので,1801年にジョセフ・ストラッツが編集した本に収録されているものである。
 まさに持っているのは木ぎれで,遊んでいる人の服装が着物なら,日本の追い羽根突きそのものである。
 
 

 上の絵に似たものが時々日本のバドミントン関係のサイトでも紹介されている。それは下のものである。
 これは,バーナード・アダムスが1980年に編集した「The Badminton Story」という本の中で紹介したもので,上の原画を模写したものなのである。
 だから,若干雰囲気が違っている。
 でも,原画では左側の人は右利きなのに,模写の方では左利きになっている。どおでもいいことだけれどー,なんでだろー・・・・。



 ちなみにシャトルコック(Shuttlecock)という言葉であるが,古い呼び方ではShittlecockというものもある。
 下の絵をご覧頂きたい。1743年に描かれたプリントで,やはりロンドンの骨董屋で買ってきたものである。タイトルのところがぼやけて見にくく,申し訳ないが,確かに,Battledore and Shittlecock と標記されている。これは別にイラストレーターがスペルを間違ったわけではなく,昔はこの様なつづり方もあったのである。いまでも,わざとこの様に古いスペルを使う人もいるので,yahooの検索エンジンのイギリス版あたりで検索をかけるとヒットする。日本にもわざと昔の綴りや表現法を好む人がいるのと同じことである。

 

 ということで,久しぶりの更新はこの辺で終わりといたします。
 ちなみに,すでにお弁当は食べ終わっています。アー,肉じゃがが本当においしかった。

 それでは皆さん,さやうなら。(^-^)/~~~


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1月8日(木) 1874年のバドミントンのプレー風景へ