小学生大会を見て

 先日、第20回(平成15年)岐阜県ジュニアバドミントン大会兼全国ABCバドミントン大会選考会が山県市総合体育館で開催されたので見に行った。

 そこでは、色々とびっくりすることや考えさせられることがあったので、徒然なるままにちょいと一筆。

 まず最初にびっくりしたことは、小学生のくせに、大人みたいに力強いプレーをする子がたくさんいたことである。まあ、バドミントンで勝つことを優先したプレーをしているのである。これは必ずしも悪いことではないとは思うが、打ち方をじっくりと見ていると相当無理をしている。そりゃそうであろう。あんな小さな身体で大人と同じ広さのコート、同じ高さのネットを使ってバドミントンをやっているのだから。おいおい、そんな打ち方をして関節や筋肉や骨や靱帯などを痛めませんかね、と思わず、老爺心ながら、心配をしてしまった。もっと、小さなコートで、低いネットで試合をやらせてあげるわけにはいかないものでしょうかね。そおしたら、もっとラリーも続いておもしろいと思うのであるが。だいたい、ルールというものは、歴史的にも、プレーをする人の力量にあわせて作られ、進化してきたものなのである。
 これについてはここを参照。
 ルールに人間を合わせる必要はないのではないかと思うのである。

 聞くところによると、上位進出をする子たちは週に5日も6日も練習をしているそうである。すごくがんばっているとは思うが、無理をしている子も中にはいるのではなかろうか。無理をするとは、もちろん、心身共にということであるが、上位進出者の何割が、私のようなおじさんやおばさんになってもバドミントンを続けていられることであろうか????

 やっぱり、生身の人間ですから、無理は禁物でしょう。車だって、若葉マークの若者が、新車を買ってきて、いきなり、ガンガンとばしていると電信柱にぶつけて、廃車にしてしまうこともあるでしょう。タイヤだってすり切れるし、ブレーキだって効きが悪くなる。また、定期点検や日々のメンテナンスを怠れば自ずから寿命は短くなる。

 子供がバドミントンのことが好きでやりたがっているから、練習をたくさんやっている、という向きもあるだろう。また、今鍛えておかなければ手遅れになるとお考えの向きもあるだろう。しかしながら、子供の脳は発達途上で、まだ、疲れるという感覚が十分に備わっていないのである。「疲れを知らない子供のよーおにー、時が二人を追い越してーゆくー」という布施明の歌が昔あったが(古い)。まさにそうなんです。子供は疲労感を十分に感じることができないのである。つまり、抑制が利かないのである。したがって、子供のいうことを真に受けていると、ある日突然、ぷっつん、ということになるのである。これは、精神的にも肉体的にも同様である。
 だから、小学生などでは、よく、突然、熱を出したり、腹痛を訴えたりするのである。大人はまず疲労を感じて、そこで無理をすると熱が出たり、身体的に異常がでてくるのであるが、子供は中間の疲労を感じるというところが未熟で欠落しているのである。

 小中学生の時期、バドミントンをやるときに、大人が考えてあげなければならない、もっとも大事なことは、その子の器を大きくしてやることではなかろうか。器が大きければ、将来、水(バドミントンの専門体力・技術・戦術etc.)をたくさん入れることができると考えられる。また、水(バドミントンの専門体力・技術・戦術etc.)だけではなく、人として生きていく上で重要なことをたくさん入れることができるのではなかろうか。この前の試合で見てきた子の中には、けなげにも、小さなコップに水をぎりぎりまでついで、やっとの思いで運んでいるように見える子も少なからずいた(ように感じた)。水がこぼれた時点で、その子は、バドミントンをやめてしまうであろう。

 ここで、大きな器と表現される子の資質について考えたいが、例えば、次のようなことであろう。
 色々なことに興味を持つことができる、何事も自分で考え、自分でやろうとすることができる、やり始めたら最後までやり抜くことができる、集団(社会)の中で、1人でちゃんと生きていくことができる、合理的な身のこなしができる、基礎的な体力を養成することができる(栄養、運動、休養を自らが積極的にとることができる、つまり、自己管理ができる)などのことではなかろうか。
 
 したがって、この時期には、バドミントンを通じて、これらの要素を高め、器を大きくしてあげることが大切ではなかろうかと思う。器の中に入れる水は持って走り回ってもこぼれない程度の量で十分ではなかろうか。
 この時期、器に入れる水は名水がよろしい。それは濃厚な基礎技術で、これを時間をかけながら、器が大きくなっていくのにあわせて、少しずつ注いでいきたいものだ。当然、勝ち負けは2の次にした状態でということだが。とはいっても、本人たちは目の色を変えて勝ち負けにこだわることもあるだろう。そこで、せめて大人たちだけは目の色を白目のままにしておきたいものだ。決して、赤く血走らせることだけはさけたいものだ。

 大器は晩成する、という言葉があるが、まさに、ゆっくりと時間をかけて、大きく育てることが大事なのではないかと、小学生の試合を見て、考えさせられた次第であります。ハイッ。

 いやー、今日はメッチャまじな話でした。それではまたの機会に。



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