参加することに意義がある

「参加することに意義がある」、このフレーズを小学6年生の息子がよく使います。
とはいっても、積極的な意味で使うのではなく、きわめてネガティブな意味合いを持って使います。

彼はバドミントンをやっています。
もちろん、レクリエーションとしてではなく、チャンピオンシップスポーツとしてやっています。
それでもって、何の間違いか、全国大会にも出場しています。

しかしながら、彼は一生懸命に練習をしません。
試合でも、必死になることがありません。
そして、本人もそのことを堂々と認めています。
私といたしましては、歯がゆい限りです。
これについては、なぜなのかと聞いたことがありますが、疲れるのが嫌いだから、一生懸命になりたくないのだそうです。
もっとがんばったら、もっと勝てるようになるよ、といいますと、そこまでして勝ちたいとは思わないといいます

で、こんな態度で練習を続けていますと、色々な方から、「しっかり練習しろ!」とか、「ちゃんとやれ!」とか、いつも叱られてしまいます。
で、そのような場面に直面すると、いつもぽつりと口にするのです、この言葉を、「練習は参加することに意義がある」と。

もっとも、彼は小学1年生からバドミントンをやっていますが、確かに、練習には参加し続けています。
とりあえずは、バドミントンをやめずに続けています。
私などは修行が足らないので、もっと一生懸命練習すれば、もっと強くなるんじゃないかと思ったりするものですから、「参加するだけではいけない」と考えてしまいますが、長い目で見れば、確かに、「参加することに意義がある」のかもしれません。

さて、前置きが長くなりましたが、この「参加することに意義がある」というフレーズについてです。
このフレーズは色々な場面で使われますが、実はスポーツの現場、しかもオリンピックの開催中に生まれた格言なのです。

時は1908年、第4回ロンドンオリンピックの時のことです。

ちなみに、近代オリンピックは1896年にギリシアのアテネで第1回大会が開催されましたが、当時のオリンピックは現在のものとはまったく異なり、のんびりしたものでした。
参加国14、競技数8、まだ、メダルはもちろんのこと、表彰式もありませんでした。
競技ものんびりとしており、飛び入り参加もあったようです。
町民体育大会のようなものだったのでしょう。
しかしながら、オリンピックも2回、3回、4回と回を重ねるにしたがって、競技会、すなわち、勝ち負けを競う大会に変わっていきました。

そこで、第4回ロンドン大会ということです。
この大会では参加国同士の競争が激化していきました。
特に、開催国の英国と、英国の分家ともいうべき米国との対立が熾烈を極めました。

この両国は歴史的に、そして、今でもそうですが、国際的に何か紛争があるとタッグを組んで力を合わせます。
例えば、両世界大戦でも、湾岸戦争でも、アフガン戦争でも、何かあると一番にこの両国が手を結びます。
もっとも、米国のルーツは英国なので当然といえば当然ですが、何もないときには、結構、英国人は米国人のことを、そして、米国人は英国人のことを馬鹿にしたりします。
本家と分家の関係、親会社と子会社の関係をイメージすればわかりやすいかもしれません。

それで、1908年のロンドンオリンピックでの激突です。
それまでは、政治の世界でも、経済の世界でも、軍事の世界でも、スポーツの世界でも、英国の圧倒的優位が続いていましたが、この頃から、米国の台頭が顕著になってきました。
これをおもしろく思わなかった英国人の感情と、その感情を察知した米国人の反感がオリンピックという舞台で爆発したようです。
英国人審判による米国選手に対する不利な判定が続きました。
それに対する米国選手団の猛抗議などが度重なりました。

これを見かねた米国から選手団に帯同していたペンシルベニア大司教であったエチュルバート・タルボットが1908年7月19日、ロンドンのセントポール寺院で行われた日曜日のミサに各国の選手や役員を招待しました。
そして、そこで、オリンピックの将来を憂慮したタルボット大司教は、全員を前に、" The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part! "「オリンピックで最も重要なことは、勝利することより、むしろ、参加した、ということであろう」と述べました。
しかしながら、その後も、両国の衝突は続きました。
陸上400m走では英国審判団の判定を不服とし、米国選手団が競技をボイコットするというようなことも起こってしまいました。

タルボット大司教による説教から5日後の7月24日、英国政府主催のレセプションが各国の役員を招いて開催されました。
その席で、オリンピックの未来を心配したIOC会長でオリンピックの父とも呼ばれるフランス人ピエール・ド・クーベルタン男爵がタルボット大司教の説教を引用しながら次のような演説を行いました。

"The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle. The essential thing is not to have conquered but to have fought well."

「オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく、参加した、ということである。これは、人生において最も重要なことが、成功することではなく、努力した、ということと同様である。本質的なことは勝ったかどうかにではなく、よく戦ったかどうかにある。」

やがて、このクーベルタン男爵の演説の内容が世界中に広まり、色々な場面で使われる「参加することに意義がある」というフレーズが生まれたのです。

きっと、クーベルタン男爵は努力の大切さをスポーツマンに伝えたかったのだと思います。

と、この話を小学6年生の息子にしましたところ、「うーん、深いい話だ!」と、唸っておりましたが、さてさて、どこまで伝わったことやら・・・