バドミントン発祥の定説

 日本においては,バドミントンの発祥に関して,1つの定説がある。今では,これを信じている人はほとんどいないとは思うが。

 すなわち,以下の話である。

 1873年のある日のこと.英国の貴族ボーフォート公は、そのグロスターシアの領邸バドミントンでホームパーティを催した。ところが、宴半ばにして突然雨が降り出したのである。おまけに激しい風に雷鳴も加わり、人々は屋内に閉じこめられて、しばし雨宿りの形となった。しかし、一向に嵐はおさまらない。飲食にも飽き、話題もようやく尽き、人々は焦繰とやけきれない倦怠ムードに陥った。すると、たまたま参会者の中にインド駐留から休暇帰国中の陸軍士官数名が居あわせ、ボンベイ州プーナ地方で数世紀にわたって行われている「プーナ遊び」の話を持ち出したのである。その説明のため、彼らは身近にあったシャンペンの空びんからコルク(ロ栓)を取り、その片側に鳥の羽根を植えつけ、テニスのラケットを振って、テーブル越しに前後に打ち合って見せた。人々はこの遊びに、たちまち魅了され、退屈を忘れさせる新しいスポーツを発見した。というわけで、その領邸の名をとって「バドミントン」と名づけた。

 この話の元となったのは,1964年に不昧堂書店から発行された,「バドミントン教本」という書物(図1)の中の,「第1章 バドミントンの由来」に記された英文の逸話である。この章の著者は,あの日本バドミントン界の先達である,今井先(いまいはじめ)先生である。ちなみに,今は鬼籍におられる今井先生は,日本バドミントン界の先達として,バドミントンの普及,競技力の向上に貢献された方で,日本女子体育大学の監督を長年務められ,全日本チャンピオン,全英選手権のチャンピオンを数多く育てられた。また,全日本の監督としても,ユーバー杯初制覇やその後の連覇の原動力となっている。私も,先生の生前には何度か,電話やお手紙で教えを請うたことがある。そのときに,今井先生はよく言われていた。最近の指導者には哲学がない,勝つことばかりしか考えていない,もっと哲学を持たなければいけない,と。ちなみに,今井先生のご子息は早稲田大学バドミントン部のOBで,私の先輩であります。

図1

栗本義彦監修
伊藤基記
相馬武美
菊池利明
今井先 共著
1964年発行
バドミントン教本
タイトルページ


 さて,上記の今井先生が取り上げた話はある書物からの引用で,その書物とは,1942年に米国,オクラホマ大学のハロルド・キース(Harold Keith)が編集した「Sports and Games」(図2参照)である。この書物は,16種目のスポーツに関する手引き書で,それぞれの種目毎に,簡単な歴史やルールや技術解説がなされている。バドミントンは第1章で紹介されており,キースが当時オクラホマ州のダブルスチャンピオンであったブラッド・シールの手助けを得て著したそうである。

 原文は以下のとおりである。

In I873, the Duke of Beaufort gave a house party at Badminton his country estate in Gloucestershire, England. A severe storm forced the guests the guests to remain indoors. Among them were some British Army officers home from India; they fell to discussing poona,a native Indian game centuries old. To illustrate the game, the officers took a champagne cork, stuck one end of it of feathers,and began to bat it back and forth across the table with tennis rackets.Soon all the guests were enthusiastically playing and found the new sport a fascinating means of escaping the boredom of their confinement. That was birth of badminton, which took its name from the duke's coutry home.

図2
ハロルド・キース(Harold Keith)編集
Sports and Games
1942年発行
タイトルページ

 しかし,この話,全くの作り話である,と私は思っている。
 
 ちなみに,冒頭の定説は,今井先生が1980年にバドミントンマガジン4月号91頁「バドミントンあれこれ 連載1」で紹介したものである。そして,これは1964年のバドミントン教本で今井先生が紹介したキースの逸話の和訳である。
 勿論,私は,今井先生に文句を付けているわけではない。先生はキースの著述を忠実に訳しながら,勝つことばかりに専心する昨今のバドミントン界の将来を憂い,警鐘を鳴らすために,微笑ましくバドミントンの原点を紹介したかったのだと思う。

 話を戻して,なぜこの話が作り話かということであるが,だってそうでしょう。1873年にボーフォート公爵の邸宅でホームパーティーを開いたというのはいいでしょう。きっとそんなこともあったでしょう。そこにインド駐留から休暇帰国中の陸軍士官数名が居あわせた。これもいいでしょう。しかし,インドで行われているプーナゲームを紹介するのに,なんで,シャンパンのコルクがいるのですか。そして,なんで重たいテニスラケットを使うのですか。
 イギリスには,古くから伝わる,バトルドーアンドシャトルコック(図3参照)というあそびがあるじゃないですか。シャトルを作る必要もないし,打具はバトルドーを使えばいいじゃないですか。というよりは,陸軍士官たちが紹介したあそびこそが,バトルドーアンドシャトルコックではないですか。
 この話,アメリカ人が紹介したというところがみそです。イギリス人だったらバトルドーアンドシャトルコックのことを知らないわけはないので,こんな話は考えつかなかったでしょう。
 さしずめ日本だったら,「インド帰りの商人が,インドに昔から伝わるおもしろいゲームをある宴会の際に紹介した。大きなドングリの実に鶏の羽根を埋め込み,小さなお盆をもって,テーブル越しに打ち合った。そしたらこれがおもしろい。新しいあそびいうことで人々は魅了された」。
 
 こんな話が日本で通じるわけはないでしょう。アメリカだったらわからないが。羽子板を出してきて,追い羽ね付きをやればいいでしょうが。だれも新しいとは思いません,ちゅうに。

 

 だから私は作り話であると思っています。


図3
バトルドーアンドシャトルコック
「The Graphic」誌
1871年,5月13日号掲載プリント


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