3月5日(木) グレーンとシャトルコック

グレーンとはあまり聞き慣れない言葉ですが、ヤード・ポンド法における質量(重さ)を表す単位のことです。
ヤード・ポンド法というのは、大英帝国時代のイギリスで定められた単位系で、長さはヤード、重さはポンドを基本単位としています。

ちなみに、1フィートは1/3ヤード、1インチは1/12フィート、1マイルは1760ヤードです。
また、1ポンドは7000グレーン、1オンスは1/16ポンド、1トンは2000ポンドです。
またまたちなみに、面積を表すエーカーや容量を表すガロンやバレルもヤード・ポンド法の単位です。

このヤード・ポンド法は、今日では、国際的には使用を禁止している国がほとんどですが、アメリカ合衆国が禁止をしていないので、世界的に通用しています。
また、イギリスなどでも、禁止に反対する人々がいて、慣習的に使われています。
ですから、スポーツの世界でもヤード・ポンド法があちらこちらで使われています。

さて、標題に戻って、グレーンが、なんでシャトルコックと関係があるかということですが.
そうです、シャトルコックの質量を決めている単位が、グレーンなのです。
もともと、バドミントンのルールは、大英帝国時代のイギリスで作られました。
だから、元々のバドミントンのルールでは、コートの大きさも、ネットの高さも、すべて、ヤード・ポンド法の単位で決められていました。
ちなみに、私の手元にある1898年のルールブックには、コートの長さは44フィート、幅は20フィートと書かれています。
また、ネットの高さは、中央部が5フィート、ポスト部が5フィート1インチと書かれています。
さらに、シャトルコックの質量は65〜75グレーンと書かれています。

これが、国際的にメートル法の単位に変わったことから、現在では、コートの長さと幅はそれぞれ、13.400m、6.100m。
ネットの高さは、中央で1.524m、ダブルスのサイドライン上では1.550mとなっています。
コート幅の44フィートをメートルに換算すると13.4112mですので、その他の数字も含めて、換算するときに、細かな数字は切り捨てたようです。
ちなみに、現在のルールでのシャトルコックの質量は、4.74g〜5.50gと決められています。

1898年のルールにおけるシャトルの質量をグラムに換算すると、4.21192915g〜4.85991825gなので、現在のシャトルコックは昔のものより重いということです。
ちなみに、シャトルの飛行距離はシャトルの質量によって左右されます。
ヨネックスなどでは、それを1番〜7番の番号で分類しています。
しかしながら、76 77 78 79 80などの番号で示しているメーカーも時々見受けられます。

上記の番号はブリジストンのシャトルコックに付けられているものです。
これは、すなわち、76グレーン〜80グレーンの質量のシャトルコックという意味です。
こんなところにも、イギリス生まれの、バドミントンの、においがします。

ブリジストン社製のシャトルコックです
キャップに78番のシールが貼られています
78グレーンの質量のシャトルコックです
ヨネックスだと
4番くらいに相当するのではないかと思います

ということで今日の話題提供はこれまでです。
ごきげんよう!



2月26日(木) 勝つことが全てではない でも勝つことはとても大切なこと でも・・・

 東海学院大学の学生の皆さんには、春休みを満喫していることと存じます。
 私たち教員も、2月20日が成績提出の期限でしたので、それをすませた後は、少しばかりゆったりした日々を過ごしています。
 3月に入ったら、来年度の授業の準備に入り、来る4月からは、君たちのことを、びしびし鍛えますからね。

 さて、標題に関しまして、私は、今、小・中学生のバドミントンクラブの指導を、監督という立場で行っています。
 これについて、指導者、特に、ジュニアの指導者にとっては永遠のテーマである標記について、つい最近の私の経験から、将来、ジュニアの指導をしたいと考えている学生の皆さんに問題提起をしてみたいと思います。

 上述のとおり、私は、今、羽島バドミントンクラブの監督として、小学生や中学生の指導をしています。

 この指導の中で、先日、東海小学生バドミントン大会の団体戦が、愛知県は大府市で開催されました。
 ただし、東海大会といっても、予選があるわけではなく、東海地区で各県の連盟に登録しているチームであれば出ることができる大会です。
 
 もちろん、我がチームも、この大会のことを重要大会の1つと考え、万全を期して、出場しました。
 さて、出場に当たっては、メンバーの選出がまずは第一の課題で、というのも、我がチームには出場に値する6年生が8名いました。
 しかしながら、メンバー登録できる人数は7人ということで、なんと、たった1名だけをふるい落とさなければなりませんでした。
 といって、監督の私情で1名だけをはずすわけにはいきません。
 公正に選考するためには、総当たりのシングルス戦をするしかありません。
 で、やりました。
 ただし、小学生の場合、公正に公正を期しても、体調を崩して練習を休むメンバーもいます。
 体育館の都合で計画していた選考会を完了させることにもむずかしいものがありました。
 つまり、メンバーを選ぶこと、これが大変でした。
 が、しかし、そんなこともいっていられませんので、選考会をやり遂げて、なんとか、メンバーを決定することができました。
 そうしたところ、ただ1人、メンバーからはずれたのが、なんと、これまでクラブのために一番自分を犠牲にしてがんばってくれたキャプテンでした。
 でも、結果は結果、私は、断腸の思いで、キャプテンだけをメンバーから外して7人のメンバーを決定しました。

 上述しましたが、今回の大会は予選がある大会ではありませんでした。
 しかしながら、各県、すなわち、愛知県、静岡県、三重県、岐阜県、それぞれの県単位の団体戦の結果を基に組み合わせが決められる大会でした。
 これに関して、我がクラブは、10月に行われた岐阜県大会で準優勝していました。
 したがって、当然のことながら、組み合わせは、勝ちやすいゾーンということになります。

 さて、東海大会です。
 わたしは、団体戦ということで、誰を出場させるか、悩みに悩みました。
 つまり、子どもたちは、団体戦のメンバーに選ばれるために、それは、それは、懸命な努力をしました。
 結果、キャプテンだけがメンバーからはずれてしまいました。
 私の手元には、そんな過程を経て、試合会場に来た7名の選手がいます。
 そんな努力をして、会場に来たのに、試合に出られない子が出る可能性もあるわけです。
 1年間、1つのチームで、苦しいことも、楽しいことも、辛いことも、共有した仲間が、そこにいるのです。
 しかも、そこにいるのは、小学生です。プロ野球の選手とは違います。
 どうしようかと、何日も何日も悩み続けました。
 結果、私には、勝ち負けよりも、7名全員を試合に出させる、この選択肢しかありませんでした。
 コーチにも選手にも相談しましたが、全員、私の考えに、賛同してくれました。

 結果は、当たり前のことながら、予選リーグ敗退というものでした(小学生とはいえ勝負の世界はそんなに甘いものではありません)。
 当然のことながら、実力がありながら、大事な場面で試合に出してもらえずに、結果、チームが負けてしまった選手たちは、泣きました。
 それは当たり前のことで、運がよければ、優勝の可能性も0%ではなかったからです。
 事実、その大会では、我がチームが岐阜県大会の準決勝で、運良く勝利したチームが、優勝したからです。
 他方、試合に出してもらった選手にも、わだかまりがある様子がうかがわれました。
 私は、申し訳なくて、選手全員に頭を下げました。

 勝つことが全てではない、でも勝つことはとても大切なこと。
 試合が終わってから、私自身、私の選択が正しかったのか、間違っていたのかの結論が、いまだ、出せずに、辛い日々を過ごしています。
 これからも、多分、その結論は出せないのではないかと思っています。

 3年後、6年後、10年後(これは6年生が、これから将来、進路を考える節目の時)に、選手たちに出してもらえたらと考えています。
 そして、わたしに、あのオーダーは間違えだった、あるいは、あれはあれでよかった、と、今回の選手たちには、わたしが想像するよりもはるかに強い選手になってもらって、私に告げてもらいたい、と、考えています。

 ・・・・・。 

1月1日(木) 丑年

 あけましておめでとうございます。
 いよいよ、丑年の始まりです。
 本年もよろしくお願いいたします。

 さて、本日は元旦ということで、恒例の元日登山に行って参りました。
 今回のメンバーは、小学6年生の女子1名、小学4年生の女子1名、小学2年生の男子1名と私の計4名でした。
 今回目指した山は、いつもの岐阜市最高峰の百々が峰(どどがみね 417.9m)でした。
 
 早朝4:30に羽島市の自宅を自家用車で出発し、5:30前に百々が峰の登山口の一つである松尾池に到着いたしました。
 そこで、登山の準備を整え、5:30に取り付き、慣れた道のりを淡々と頂上目指して歩を進めました。 

こんな感じで登っていきました。

 6:30頃になると東の空が少しずつ明るくなっていきましたが、今年は満天の空で、初日の出が期待できました。

2009年の夜明け前です

頂上に着きました。

 今年は本当にきれいな初日の出を見ることができました。 

2009年の始まりです。

 そして、下山、ところが、ここで、アクシデント発生。
 全員一緒に下山を開始したのですが、先頭を歩いていた小学2年の長男が、迷子になってしまいました。
 そこで、全速力で、歩を進めましたが、行けども行けども、見つかりません。
 こんなに早く歩いても、追いつかないということは、長男は、きっとどこかで道を間違えたのだと考え、娘2人をそこに残して、頂上へ全速力で引き返しました。
 が、どこにも長男はいません。
 目の前が、真っ白になりました。
 1時間ほど、考えられるところを走り回って探しました。
 が、見つかりません。
 もう探すところはありません。
 しかたなく、最後の場所として、登山口を目指しました。
 まさか、こんな寂しい山中を、しかも、道もよくわからないところを、1人で、登山口まで下っているとは考えられませんでしたが、もう探すところがありません。
 しかたなく、全速力で下っていきました。
 そうしたら、なんと、登山口で、1人で待っていました。
 もう、体中の力が、抜けてしまいました。
 思いっきり、長男を抱きしめてしまいました。
 そして、何で、あんなスピードで、1人で下っていったかを聞きました。
 そしたら、お父さんに誉めてもらおうと考えて、一生懸命に下っていったと答えました。
 わたしは、もう、なんと返答したらよいか、言葉に詰まりましたが、今後は絶対1人で行動してはいけないと諭しました。

 さて、いよいよ2008年の始まりです。
 昨年4月より、小中学生のメンバーで構成されている羽島クラブの監督を務めておりますが、今年は、さらなる活躍を祈念いたしております。
 そのためには、充実した練習しかありません。
 ない知恵を絞って練習計画を立てたいと考えています。
 羽島クラブのメンバーには、一緒に最善を尽くしましょう。
 で、幸いなことに、ホーム体育館である竹鼻小学校の体育館がもうすぐ使えるようになります。
 というのも、昨年の7月から、竹鼻小学校の体育館が耐震補強工事のため使えませんでした。
 そこで、色々な体育館をさまよい歩きましたが、もうすぐ、その生活にも終止符が打たれます。
 すなわち、十分な練習時間が確保できるようになります。
 パワー全開でがんばりましょう。
 きっと、今は勝てない相手でも、あっという間に追い抜くことができるでしょう。
 
 ということで今年もよろしくお願いいたします。
 

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