電報
 

 
大学生の時、確か3年生に進級する直前の春休みのことだった。その日はうららかな春の日で、大学もバドミントンの練習も休みの日だった。だいたいこんな日は、ひねもす昼寝を決め込むのが常であったのだが、その日も下宿2階の四畳半一間の傾いた部屋(家が本当に傾いていて、冷たいビールをついだコップなどを飯台の上に置いているとコップが低い方へ滑り落ちて行くほど)でうつらつらと舟を漕いでいた。と、一階の玄関の引き戸が開く音ががらがらとした。そして、あららぎさ〜ん電報ですよ〜、という声がした。
 
 
今は携帯電話が普及していて、用事があればそれで事足りる。したがって、電報というと冠婚葬祭の時に利用するぐらいのものである。が、昔々、私が学生だった頃には、携帯電話などなかった。また、下宿に電話を引いている学生も数少なかった。そこで、電報が通信手段として利用されていた。ただし、それは急を要する場合にほぼ限定され、例えば、「ハハキトクスグカエレ.チチ」といった具合に使われていた。
 
 さて話を戻そう。舟を下りた私は昼寝から覚めたばかりの頭でボーとしていたが、状況の深刻さを認識し我に返った。そして脱兎のごとく階下へ駆け下り、郵便屋さんから電報を受け取ろうとした、ら、印鑑をお願いしますと郵便屋さんにいわれ、脱兎のごとく階上に駆け上がり、印鑑を持って降りてきた。そして、ふるえる手で電報を受け取った。だいたい、こんな場合の電報というのは何か悪いことがあった場合に決まっているからである。
 
 勇気を奮って、おみくじのように畳んである電報を開いた。そうしたら、「シキュウデンワコウ.フクイ.03-***-****」と書いてあったのである。それは、当時わたしが所属していた大学バドミントン部の大先輩、福井正康氏からの電報であったのだ。ちなみに、福井先輩は、日本の女子チームがユーバー杯(バドミントンの国対抗女子世界選手権、テニスのフェデレーションカップみたいなもの)で初優勝をしたときのコーチで、日本のバドミントンの発展に貢献された先達である。私はあわてて十円玉をいくつかポケットに押し込み、サンダルをつっかけて玄関を飛び出した。そして、公衆電話へと、またまた、脱兎のごとく走った。そして、指定された電話番号にかけた。交換の女性がでて、河崎ラケットですと告げた。そう、電話先は福井先輩の勤務先で福井先輩はそこで部長をされていた。ちなみに社長も当時私が所属していたバドミントン部のOBで、河崎一幸先輩であった。
 そこで、はじめて、福井先輩と私の間にコミュニケーションが取れたのである。「福井先輩、電報ありがとうございました。」と私がいった。「やあ、連絡が取れてよかったよ。*月**日と*月**日は、必ず空けておいといてくれよ。小島が君に指導してやってもいいといってくれたから。」と福井先輩がいわれた。つまりこういうことだ。小島とは、あの全日本のシングルスを8回も制し、全英選手権のシングルスでも三位に入賞したことがあるバドミントン界では伝説の人と呼ばれる小島一平さんのことである。そして、その人に私が胸を貸してもらえるように福井先輩が頼んでくれたということなのである。空けとくようにといわれた日に練習場へ行くというのである。
 
 ちなみに、この小島一平さんであるが、私が平成元年〜2年にかけ英国に留学し、ウインブルドンバドミントンクラブに所属したときにも、英国のオールドバドミントンファンにはよくきかれた日本人名である。よく聞かれた、「コジマは元気か。コジマは今どうしているか」と。コジマさんが現役の頃、日本の女子も全盛期で全英選手権のシングルスやダブルスで優勝を飾る選手もたくさんいたが、やはり英国における人気ではコジマファンが一番多かったそうである。そのプレースタイルや、身長160cmにも満たないにもかかわらず、ゴムまりのようにコートを飛び回り、アクロバティックに大男たちをやっつける姿が印象的だったそうである。英国で友人になった一人にピーター・ガードナーという大学教師がいる。彼はジュニアの時には、バドミントンの世界ではかなり鳴らしたそうであるが、全英選手権では全盛期のコジマさんのプレーに魅了された1人だそうだ。中でも、コジマさんが全英選手権の準決勝で、あのインドネシアの至宝、ルディー・ハルトノトと対戦したときのことは昨日のことのように思い出されるといっていた。
 ピーターのいうには、そのときコジマは、全英選手権8回の優勝を誇る全盛期のルディーを相手に回して、一歩も引けを取らなかったそうである。手に汗握るラリー、観客が息をのむプレーが続けられたそうである。その試合、その息詰まる熱戦ではコジマが先にマッチポイントを握ったそうだ。そして、最後のラリー(と思われた)でコジマがルディーの放ったショットをアウトと確信して見逃した。そして、思わずガッツポーズをとろうとしたとき、ラインズマンがラインを指さし、インと告げたそうでだ。ピーターは目を疑ったといっていた。あれはだれがどう見てもアウトで、コジマの勝ちであったといっていた。しかしながら、ジャジは覆るはずもなく、コジマはラケットを床にたたきつけそのラケットはおれたそうだ。その後、緊張の糸が切れたコジマはルディーに逆転を許したそうだ。
 野球でも長島ボールというものがあるそうだ。つまり、アンパイアが、一瞬ストライクだと思った投球でも、長島選手がぐっと身体を引いて見逃すと、思わず、ボールといってしまう、そんなジャッジのことである。ハルトノインがあっても不思議はない。
 
 話を戻そう。福井先輩はそんな名選手の指導が受けられるようにと、旧知の仲を利用して接触してくれたのである。ありがたい話で身体がふるえたことが昨日のことのように思い出される。また、電報を打ってくるとは粋な方法。一瞬心臓は固まりましたが。
 福井先輩、その後ご無沙汰をいたしております。お元気でしょうか。それでは失礼いたします。

 今日は、何となくしんみりした話になってしまいました。それでは、またの機会に。


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