以下の文は,平成12年8月に,大学体育指導者研修会において,自然に興味を持たせ自然に上達させるバドミントンの授業展開というテーマで講演したものです(「大学体育」第71号,p38−42に掲載)。

 本日、「大学における実技指導」ということで、私が、大学でバドミントンを担当し、平生から考えていること、そして授業を進めていく中で、意図していることをお話し申し上げて、先生方のご参考にしていただければと考えております。私、バドミントンの実技をやるに当たって、学生に満足してもらうためにということで、こういったことを考えております。 まず第1は、1回90分の授業に学生が来てくれて、バドミントンに熱中して夢中になってくれること。そして授業が終わって、「終わるから集合−」と言ったときに、時計を見て、「あ、もうこんな時間になってるの」と学生が思ってくれる。そういうふうな授業を理想としています。 また、1回l、2回,3回,4回,5回と授業を受けるに従って、いろいろなゲームをやる中で、あれっ、前までできなかったのに、知らないうちにこんな打ち方ができるようになったなとか、あれっ、いままで、これ決められていたのに、相手のコートに飛んで行っちゃった、なんていうふうに学生が感じてくれる。そして、半年なり,1年間授業をやって、学生が無事単位を修得したときに、知らないうちにバドミントンが本格的にできるよぅになっちゃったよ、実技は終わっちゃったけど、何か機会があったら、ほかのところでバドミントンやりたいな。そういうことを学生が思ってくれるような授業にしたいと常々考えております。 そういったことから、本日レジュメを1枚用意いたしましたけれども、その中で、私のテーマとしまして、「自然に興味を持たせ、自然に上達させるバドミントンの授業展開」ということで、これは私自身の課題でもあろうかと思います。
 この課題の中で、「自然に」というのが一つのキーワードになろうかと思います。体育の授業では、いろいろな困難なこと、いやなこと、つらいことをやりながら、頑張って何かできるようになって、その達成感、大きな喜びを与えるということも、体育ならではの一つの授業内容だと思いますが、あえて私の授業では、何となくやっているうちに、気づいたら上手になっていたな、気づいたらバドミントンが楽しくなったなと、そういう ふうな授業に持っていきたいと思っています。こういったことから、「自然」ということをキーワードにしているわけであります。自然に興味を持たせ、自然に上達させるために、大事なことが一つあると思うんですが、それは授業を展開していく中で、どうやって段階的な指導をやっていくか、ということだと思います。やさしい課題から与え、できるようになったら徐々に難しくしていって、知らないうちに上手にさせていくということですね。そのためには、内容の吟味とその配列ですね。どのような順番で課題を提供していくか、学生にやらせるか、というのが重要になると思います。
 ここで、一つ昔から気になっていることがあるんです。段階的な指導法というと、指導書とか入門書を見ますと、バドミントンの技術では、基本技術とか応用技術。基本技術の中でも、これは基本の基本だという形で、一つの技術について枠組みがされていると思います。ただ、基本技術イコールやさしい、応用技術イコール難しい、基本の中の基本はやさしいかというと、これは全く違う次元の問題で、入門書とか指導書などの基本・応用というのは、あくまで戦術的な意味合いからなされているものだと思います。 たとえば、バドミントンではクリアというショットがあります。ほとんどの入門書を見ますと、クリアというのが基本ショットの中の基本ショットと呼ばれています。その中でも、ハイクリアというショットがありまして、これは高く遠くへ打ち上げるショットなんですけど、これが基本の基本だ、というふうになっています。またグリップにしましても、イースタン・グリップが基本の基本だ、バドミントンのグリップだということになつています。また、フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークでは、フォアハンドのほうが簡単でバックハンドのほうが難しいんだと、ほとんどの入門書では紹介されていますが、私が経験している限りでは、ハイクリアがバドミントンの中で最も難しいショットですね。 イースタン・グリップは、いろいろなグリップがある中で一番難しいグリップであると思います。また、フォアハンド・ストロークとバックハンドストロークの使い分けにしても、学生によっては、バックハンドのほうが最初打ちやすいという子もたくさんいるわけですね。 ですから、応用技術、基本技術という枠組みで,やさしい、難しいという段階指導をすると学生のつまずきの原因になると思うので、 既成概念をまず取っ払ってから段階指導というのを考えなければいけないと思います。
 そういったる中で、バドミントンの発祥、そして発展の歴史をながめてみる、ということは非常に役立つことであると思います。 レジュメのほうにも示しておきましたけれども,バドミントン競技というのは、ある日突然,ボンと私たちの目の前にルールができて、こういう競技ですよ、というふうに与えられたものではなく,何世紀も昔からイギリスに伝わる、バトルドー・アンド・シャトルコックという、日本根突き遊びみたいなものがベースになったものであります。それで人々が遊ぶにうちに、最初は1人で突いたりしていたんでしょう、あるいは2人で打ち合ったりしていたんでしょう。だんだん1人で打っていたり2人で打っているだけでは飽きてきますね。私たちの授業の中でも、学生の態度がそうですけれども、一人で突いているだけでは飽きてくるから、みんなで誰が一番高く打ちあげることができるか競争してみよう、誰が一番長く続けるか競争してみようという、そういうある種の競技的なゲームに,バトルドー・アンド・シャトルコツクが進化していったのだと思います。 やっている中で、何回続けられるかというゲームも、果てしなく続いてしまいますと興味が半減します。そういったときに、もうちょっとこのゲームを面白くする方法はないかなという風に考えたときに、イギリスのバドミントンという地名なんですけどね。バドミントン村にあるバドミントンハウスの中で、壁の端から端に洗濯物を干すロープを張って、それを一つの障害物としながら、これを越すように打ち合って、どっちが勝つか、失敗するかという、競技的なゲームに発展していくわけです。 そこで、もっともっと楽しくするためにはということで、いろいろなルールづくりが行われ、それによって、より高度な近代的なゲームに発展していきます。そうすると、その中でいろいろな戦術が出てきます。ただやっているだけでは面白くないので、相手を打ち負かしてやりたいな、勝ちたいなというのが心情でありますので、簡単なルール、ローカルルールですね、そういうゲームをゃる中でもいろいろな戦術が生まれてきました。その戦術を遂行するためにいろいろな技術が考えられました。その技術を成功させるために、いろいろな体の使い方、腕の使い方、グリップの持ち方が考えられてきたんですね。 ここがポイントなのですけれども、最初にゲームがあって、そのゲームを楽しむため、あるいは そのゲームで勝つためにいろいろな戦術が生まれ、その戦術を成功させるために技術が出て、クリアとか、スマッシュとか、そういうショットを打てば有利だと。そういうショットを打つためには、こういう持ち方をしたほうがいい、こういう振り方をしたほうがいい。そういう発想でゲームは進化していったわけです。そして戦術が高度になって、技術が高度になっていくと、さらにそれに伴って高度なルールになっていく。技術だけ、戦術だけが高度になっていきますと、ゲームとして成り立たなくなりますから、戦術を支えるために、両者を公平にするために、いろいろなルールが高度になっていく。その繰り返しによってバドミントンが進化して、現在のような形になってきたわけです。
 このバドミントン競技自身の発達・発展の過程というのは、バドミントン・ビギナー、全くバドミントンをやったことがない、ラケットも持ったことがないというような人が、成長して上手になっていく過程に、そのまま重ね合わすことができると思うんです。ですから、バドミントンの技術とかルールは、最初に技術があってみんながやり出したのではなくて、大切なことは、みんながいろいろ工夫して、ゲームをやっていく中で戦術が生まれ、技術が生まれ、グリップが生まれたということですね。ですから、初心者が授業に来ます。全くできない。そういったときに、最初は1人で突いたり、 2人で打ったり、シャトルを拾ったり、すくったり、足で蹴ったり、左手で打ったりと、いろいろなことをやります。そうすると、それだけで楽しいわけですね。ところが、最初は楽しいんだけど、やっているうちにだんだん蝕きてきます。そうなったときに、彼女、彼らたちが何をしたいかというと、2人で競技をしたいわけですね。ただ、続けるだけではなくて、おれが勝ちだ、おまえが勝ちだ、もうちょっと頑張ろうとか、そういうことになるわけです。そういったときに、彼女ら、彼らの技量に合わせてできるゲームを与えてあげるわけです。バドミントンのコートは結構広いですから、初心者では十分に楽しめません、ラリーが続きません。だから、サイドラインもエンドラインも半分にしてみましょう、その中で打ち合って勝ち負けを決めましょうと。ハーフコート・シングルという言葉で呼びますけれども、そういうゲームをまずやるわけです。そして、そこで勝つために必要な戦術は何だろうかというふうに考えさせるわけです。全くの初心者だったら、勝つためには、ラケットにシャトルを当てること。そして当てたシャトルを必ず相手のコートへ入れること。これが唯一の戦術になります。ですから、その段階では、そういう戦術を遂行するために最もうまくいく技術、打ち方でも、これでいいと思います。そういった技術で何とかラケットをシャトルに当てなさい。そしてネットを越して相手のコートに入れなさい。そういうことをやるわけですね。やっていれば自然に上達します。そうすると、彼女たちはそのゲームに満足しなくなります。その時点で、コートを広くしたり、ネットを高くしても低くしてもいいと思います。人数も1人だったり、2人だったり、何でもいいと思いますけれども、彼女らのそういう欲求を満たすような形で、ゲームを高度な形にしていく。そしてまた、そこで必要な戦術は何だろうかと考える。いまの例であれば、最初はエンドラインが短いコートでやる、だんだん上手になるにつれて、それでは満足しない。もうちょっとやりたいということになると、エンドラインを一番後ろまで持っていく。そうするとコートが広くなりますね。そうなった時点でまた戦術が変わってきます。相手のコートの中に入れているだけでは、永遠にラリーは続くだろうけれども、勝ち負けが決まらない、面白くない。じゃ、ネットから遠いところに打てるようにしたら勝てるようになるぞ、という話になるわけですね。つまり、戦術としてネットから遠くヘシャトルを置く。そこで、クリアとか、ロブとかいうショットが出てくるわけですね。で、クリアを打つためにはどういう腕の振り方をしたらいいか、どういうグリップを持ったらいいかということで、学生に考えさせて、じゃ、こういう練習をしてみようということで、少しやるわけですね。 そのあと、また同じゲームをやらせて、そういえばいままでとちょっと違う、打てるようになってきたなと。で、ゲームをやってきます。やっているうちに自然に上手になっていきます。そうしたら、また同じような段階で、次のルールも技術的な戦術も難しいものにレベルアップしてやっていくわけです。で、気がついたら、正式なゲームをやっていたと。そういうふうな形に持っていくということを私はやっています。
 ルール、戦術、戦略は、ゲームをやっている中から生まれてくるものでありまして、最初に戦術ありき、技術ありき、ルールありきではなく、学生の技術レベルに合わせた形でそれを提供してやる。これが大切だと思います。 たとえばルールにしてもそうだと思います。ルールというのは、歴史的に見ても、最初に申し上げましたとおり、戦術や戦略や技術、そういったものを追いかける形で、あとからあとから高度になっています。 ですから、バドミントンのサーブは非常に細かなルールが決められています。もちろん下手打ちで打たなければいけない。そのほかいろいろルールがあると思いますけれども、最初からそういうルールにとらわれてやりますと、サーブが打てないだけのためにバドミントンが面白くない、という事態になります。歴史的に考えましても、1893年にバドミントンの統一ルールができて、いまのような形になったわけですけれども、そのときには、「バドミントンのサーブは下手打ちで打つ」という一文のルールしかなかっだわけです。 それでやっていくうちに、せこいサーブをする選手が出てきて、それではゲームが面白くないということで、ルールがいろいろ細かくなっていったんだと思うんですけれども、体育の授業でバドミントンを始めたときに、もしその子が、下手打ちでサーブが打てずに、オーバーベッド・ストロークで打って、それでラリーがうまくつながって楽にゲームが開始できるのであれば、それを許しながら、だんだん技術が上達して、上から打つことによってサーバー側があまりにも有利になってゲームが面白くなくなる、成り立たなくなった時点でルールを厳しくして、そして下手打ちで打とうというサーブにしてもいいと思います。 また、別にラケットで打つことに固執せずに、サーブが上手ではない子がたくさんいれば、サーブは手で投げるというふうなルールにしてもいいと思うんです。投げておいて、それでラリーを続けて上手にゲームが機能すれば、それでやっておいて、次の段階、技術が上がった時点で、またサーブについては考えていく。これは一例ですけれども、ほかにもいろいろな応用できる場面があると思います。 まとめになりますけれども、バドミントンというのは、歴史的に考えても、最初にルールがあって、最初に技術があってというものではなく、人々の成長に合わせて、技術なり、戦術なり、ルールが進化して現在の形になったということです。ですから、その歴史に学びながら、体育館へ来た学生の技量、経験、そういったものに合わせながら、ルール、戦術、技術などを考えさせ、最初に目標があって、正式なゲーム、正式な基本ショット、そういうものに向かっていくというのではなくて、地道なところからこつこつやって、気がついたら、あれっ、正式なゲームができるようになっていた、そういうふうにすれば、きょう、「自然に興味を持たせ、自然に上達させるバドミントンの授業展開」ということを私の課題としていますけれども、少しでもこの課題に近づけるのではないかと思い、授業をやっているところであります。以上です。

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